城跡旅行!

旅行好きです。普通の旅行も好きですが、廃城跡(常識人の感覚で言うと、な~んもない城跡)が好きです。旅行・城跡での発見をメインに紹介するブログです。行ってみたいと思って頂ければ最高に嬉しいです。

東北~道南の旅@山形・青森・函館・洞爺湖旅行①

 お越しいただきありがとうございます。

最近、当ブログは城跡の紹介がメインになりつつあります・・f(^_^;)

ですが、管理人は普通の旅行も大好きです。事情により丸一週間休みになり、妻と2人で普通の旅行に出かけることになりました(^^)v

 

旅の目的

  1. 山形城跡を見たい
  2. 鉄道旅をしたい
  3. 龍飛岬(青森県)に行きたい
  4. 普通の観光客が行かない函館観光をしたい。志苔館(しのりだて、函館の城跡)とか・・
  5. 海鮮料理をたらふく食べたい
  6. 妻と新婚旅行で行った洞爺湖温泉を再訪したい

大雑把すぎ?(行けるのが決まったのが旅行数日前でプラン練る暇なかったの・・)

ン?プランにさりげな~く城跡を混ぜてる?気にしない、気にしない(笑)

 

※あと、一応書いときます。2020年3月上旬現在、全国で新型コロナウイルス騒動が起きていますが、北海道で外出自粛を呼びかける「緊急事態宣言」が出たのは旅行終了日の前日でした。あしからず。

 

行き帰りの飛行機だけは最低、押さえといた方が良いだろう。という事で大坂伊丹空港→福島空港、帰りは新千歳空港神戸空港を予約。

後はほとんど行き当たりばったり。さて、どうなることやら(^^;)

 

1日目

旅行当日。伊丹空港に直行の高速バスを見つけたので、最寄りの駅から出発。

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麦焼酎のCMに出そうな、いつもの侘し~いローカル駅ですが、今日ばかりはココから旅が始まる~とワ~クワク(*⌒▽⌒*)

今の私にとってはココは舞浜駅 そう、☆☆イクスピアリです☆彡☆彡

アタマノ中ではエンドレスでエレクトリカルパレードが流れています(笑笑)

 

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アホな事考えている内に高速バス停留所へ。

伊丹空港までは3時間。お菓子、お酒、おつまみを買い込んでレッツゴー

 

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車内は独立3列シートでゆったり、トイレあり、コンセントありで快適。

Wi-Fiも完備ですが、接続台数に制限があるようで、私が乗った時点では既に満室状態で繋げませんでした(^^;)

缶酎ハイ片手に、スマホ充電しながらお気に入りのサイト眺める。

初っぱなからなんとも優雅な旅です。

 

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夕方4時過ぎに伊丹空港に到着。明日始発便なので、はり込んで空港内のホテル予約しました。出かけるのも面倒なので、空港内で早めの晩ご飯を食べることに。

 

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大坂名物お好み焼きと、牡蠣のホイル焼きを注文。もちろんビールもね♪
あ``~、ビールに合うわ~!!(≧Д≦)

 

この後は部屋に戻り、明日の予定を考えます。

旅をしながら明日何するか決める。無計画旅の醍醐味です。

家でいるときより、妻とも話が弾みますね~f(^^;)

 

明日は早いので早めの就寝。 お休みなさい♪

では、また次回~(^_^)/~~

 

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阿波国の城跡@太鼓山城・川崎城・花駒屋敷③

みなさんこんにちは。

最近、阿波国西部の城跡を巡っています。

前回まで太鼓山城・川崎城と、阿波国にしては、なかなか見応えのある城跡が続いたので時間も押してきました。

今回は城跡まで車を横付けできてサクッと見れる「花駒屋敷(花駒城)跡」を訪れたいと思います。

 

・・が、登りのある城跡2本行ったおかげでお腹はペコペコ。早く何か食べないと、我が胃袋が武装蜂起して反乱を起こしそうです。。。

 

私、城跡旅行に行った時はその土地のご当地グルメを食べるのが大好き。

徳島県西部は祖谷地方といって、山あいのため朝晩の寒暖の差が大きく、蕎麦の栽培が盛んなようです。昼の陣中食は祖谷そばに決定♪

tabelog.com

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そば定食(780円ぐらい?記憶が曖昧)と、厚揚げと玉子のおでん(1本110円)を注文。おでんはカウンター横の鍋に入っていて、会計時に自己申告するシステム。

そば定食が来るまでおでんをがっつく。写真の通り具が黒いですが、おでん鍋の中はビックリするぐらい真っ黒の汁におでんがつかっています。大丈夫かいな?(^^;)と最初は思いましたが、全然濃すぎたり塩辛いことはありません。味付けは優しいけど、これでもか!!と言うぐらい味がしゅんでます。ビールが欲しい~( ^_^)/□

 

そば定食。祖谷蕎麦は基本、つなぎを使いません。

10割蕎麦なので切れやすく、ぶっとくて短い、(良い意味での)田舎蕎麦です。下手したらうどんより太いかも。

太い麺を噛みしめると蕎麦の良い香りがす~っと鼻に抜けていきます。おダシも激ウマ。山菜とキノコの炊き込みご飯と蕎麦のダシがメチャメチャ合います(≧∀≦)

付け合わせは春雨と野菜とキクラゲの和え物。大満足です♪♪ (*⌒▽⌒*)

 

さて、そろそろ城跡に向かうとしますか。

花駒屋敷。屋敷と言っても、実質には防御機能を備えた城です。

先の2城と同じく白地城の支城で、白地城城主の家老、花駒さん(まんま)が治めていたようです。南から吉野川、西から馬路川が合流する地点にあり、伊予方面への玄関口にもなり、交通の要衝だったと思われます。

 

城データです。

花駒屋敷(花駒城)

比 高:-

駐車場:神社入口そばの道幅が広いので、路肩に寄せれば2,3台駐車可能

登城口:神社入口 

 ハイ、確実に今までで一番お手軽物件です(笑)

迷いようがないと思うので、行き方は省略します。

 

吉野川と馬路川の合流点の河岸段丘にある城で、東は吉野川、南は馬路川の絶壁に守られ、西側の緩斜面は切岸で守ります。

北側に平虎口を開けた主郭、南に1段下がって絶壁スレスレに2郭を置くシンプルな構造です。

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北側道路より。主郭への平虎口。虎口両サイドは土塁跡です。

 

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こちらは主郭側から見た虎口。土塁が曲輪内に伸びてますね。元々は曲輪西側全体を土塁で覆っていたのかも。

 

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主郭の全体像。南北に細長い曲輪で、奥に1段下がって2郭があります。

 

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虎口西側の土塁。

東と南は断崖絶壁なので、西側が弱点なのは城主も当然分かってます。土塁と切岸で守ります。

↓↓ そして、虎口脇の竪堀。

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これにはちょっと驚きました。こんな小規模な城に竪堀が。しかも、割としっかり深く掘られ、遺構として立派に残っています。西側の弱点を相当意識してたんでしょうね。

 

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そして、主郭の南端には石垣が。

残念ながら、戦国期の遺構ではないそうですが、いつの時代の物なのか、調べても情報が出てきませんでした。

個人的には、かなり古風な積み方に見えるんですが・・・。

いつの時代の遺構かご存じの方はコメント欄でこっそり教えて下さいませm(_ _)m

 

さて、城外に出て、本城である白地城を眺めてみましょう。

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白地城遠景

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白地城ズーム

丘の上の黒い屋根、白くて四角い建物の辺りが白地城跡です。

残念ながら遺構はほとんど失われていますが、本城と南・西の支城群の全体像を把握するにはうってつけの場所と言えます。

 

城の狙いとしては、水運と伊予方面の交通の要衝を押さえ、情報収集のための白地城の出城だと思います。

東と南は天然の断崖で守り、弱点の西側を切岸で守り、竪堀で主郭奥への横移動侵入を防ぎ、虎口で全力で食い止める・・といった感じか。

個人的には、虎口と竪堀の位置が近すぎて守備側にとって不利なんじゃないか?という疑問は残りました。

 

しかし、車で城跡まで横付けできてこれほどお手軽に遺構を楽しめる城跡はなかなかありません。女性の方は、なんならヒールの靴でも散策できます(笑)

 

今回はこれでおしまい。最後まで見て下さってありがとうございました(*⌒▽⌒*)

では、また次回~(^_^)/~~ 

阿波国の城跡@太鼓山城・川崎城・花駒屋敷②

皆さんこんにちは。前回より阿波国西部を攻めております。

太鼓山城を攻めた直後ですが結構疲労が来てます。いや、体力面じゃありません。シダシダだらけの城跡を藪漕ぎしながら進んだ精神的な疲労です(笑)

 

次は同じ三好市池田町内の川崎城跡へ。

急勾配登るのは苦ではないので、下草のない所だと良いなぁ・・f(^^;)

 

この城跡、かなり辺鄙なところにあり、近くまで車で行けるのは良いけど、なぜこんな所に??と思って事前に調べておきました。

城の東側直下に現在も林道が通っていますが、かなり古い時代の街道筋のようで、土佐との交通の監視目的で造られた白地城支城群の一つのようです。

 

では、城データを。

川崎城

比高:約100m(私が車を置いた場所から)

駐車場:舗装林道から大きく山側へ折り返す箇所に1台分(3ナンバー車はここが無難)、折り返し登り、コンクリートの簡易舗装が終わった箇所に5~6台ぐらい。(主郭直下への分岐点に大きな広場があるが、工事中と思われるので侵入しない方が良いと思う)

登城口:下記で紹介する「城郭放浪記さまのサイト」が詳しいですが、まず、R32号線「祖谷口駅」と「阿波川口駅」中間地点に、「林道川崎国見山線」と緑の看板で書かれた吉野川に掛かる橋を渡り、ひたすら進みます。

「正木」という地名のあたり・・Googleマップで「三好市池田町川崎正木」と検索すれば出てきます。Googleマップで「正木」の文字が表示されるちょっと北です。

携帯の電波(私はdocomo回線の格安スマホ)は十分入るので、マップを表示させながら行くと良いと思います。

・・余談だが、「正木」の東の「あんこく」って地名、なんだコレ(笑)

↓ 場所です。

 ハイ、訳分かりませんね(笑)2回ほど拡大して下(南)にスクロールして下さい。「正木」の地名と、ついでに「あんこく」が出てきます。

「正木」の林道折り返し点まで来れば、あとは道なりで迷うことはありません。

 

↓ 城郭放浪記さまのサイトです。縄張り図完備。いつもながら素晴らしい。

www.hb.pei.jp

 

R32から分岐する「国見山橋」を渡り、ひたすら進みます。

林道とはいえ、最初は集落や工場もあり、一般の生活道という感じですが、2,30分進むとカーナビから道は表示されなくなり、舗装もアスファルトからコンクリートになります。コンクリ舗装はタイヤの敏感お肌に大敵(^^;)

例の「正木」まで来ました。折り返し地点、ココです!!

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折り返しの坂路の下に1台分駐車できます。私はここに車を置いて歩きました。

坂路もコンクリートで簡易舗装され、車でも十分登れます。・・が、大小落石がゴロゴロしているので、車が傷つくリスクは承知の上で。

 

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徒歩で10分弱でしょうか。簡易舗装も終了しました。

左の脇に駐車スペースがあり、5~6台は置けると思います。

この後は20分ほど、なだらかな山道を歩いて行きます。

 

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分岐点。左へ行くと城域。右は2020.2月時点、工事中で立ち入り禁止です。

ご覧の通り、ここまで車で来て駐車することも可能ですが、これまでの道で工事車両と鉢合わせするかも。何より工事の邪魔なのでやめた方が良いと思います。(左の軽ワゴンは工事関係者の車)

ココを左へ進み、スマホGoogleマップを見ながら行くと、主郭(上記紹介した場所)の直下辺りで山側に登れそうな道が。

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後はひたすら登ります。尾根にたどり着くと、北側の峰との鞍部に出る可能性も高いですが(実際、鞍部にたどり着いた私は最初、鞍部を堀切と勘違いした)、とにかく一番高いピークを目指して下さい。ピークが主郭です。

 

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北側大堀切

はい、出ました~(^o^) 手前の足下が尾根筋、堀切を挟んだ向こうが主郭側です。

 

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堀切内部~(#^.^#)

 

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堀切はセオリー通り、両側が竪堀となって落ちる。特に西側が明瞭に残っています。

 

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堀切を越えたところ。

足下は主郭下の腰郭、堀切を挟んで単騎駆けの、やせ尾根。

ボコボコした土の遺構が実に見事。いや~、城跡好きにはたまらん絶景ですな~(*^_^*)

 

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腰郭の内部です。前面に土塁を盛って防御しているのが分かると思います。

1つ前の土がボコボコした写真はこの土塁上から撮ってます。

 

ところで、余談ですが、写真中央やや上に青い石碑みたいなのが見えますね。

(ちなみに赤い棒は測量用の杭)

この城で戦闘が起こったかどうかは不明ですが、あちらこちらに複数ありました。・・おそらくは塚、つまり墓石かと思います。石の下には、この城で亡くなった当時の人が大勢埋葬されている事でしょう。。塚の周りを踏まないように気をつけて散策します。

 

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主郭から腰郭を見下ろしたところ。腰郭といっても、かなりの広さです。

 

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こちらは主郭全面を守る土塁。守備兵はこれに身を隠しながら攻め手を迎え撃ちます。

 

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主郭はほぼ円形で、背後(南側)もぐるりと土塁で守られています。今は風化し、わずかな高まりですが、当時はもっと高く守られていたはずです。

 

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こちらは南側土塁の下。

わずかに残る三日月状の平坦地は帯曲輪の名残の可能性があるとのこと。

これだけの切岸と絶壁。帯曲輪はいらないような気がせんでもない・・(^_^;)

 

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かわって主郭西側。こちらは傾斜が緩く、しっかり堀切で守られています。

さすが、分かっていらっしゃる(笑)

 

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西側堀切の内部。かなりの高低差があるのがおわかり頂けると思います。

 

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堀切の向こう側は緩斜面に沿って数段、段曲輪がひな壇のように配置されています。

さすが×2、分かっていらっしゃる(笑笑)

 

さて、主郭に戻り、北側大堀切を越えて帰路につきます。

 

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↑ 単騎駆けのやせ尾根。来るときは気づかなかったですが、尾根鞍部との境に不自然な高まりが。恐らくは櫓台でしょう。

 

この城の狙いですが、東側に土佐に通じる古い街道が通っており、街道監視・本城(白地城)守りの出城と見て良いと思います。

主郭の南と東はかなりの絶壁なので、私もそうしたように、少し北側の斜面の緩いところから尾根の鞍部にいったん登ることを想定。

後は、自然地形を生かしたやせ尾根で単騎ずつ前進してきた敵を必殺の北側大堀切で動きを止め、一網打尽にする。

西側は傾斜が緩いので腰曲輪群と堀切でしっかり防御。

 

非常にシンプルで分かりやすい城ですが、防御の意図が明確な分、実は相当堅固な城じゃないかなぁ?という印象でした(^^)

 

次回、花駒屋敷跡に続きます  

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阿波国の城跡@太鼓山城・川崎城・花駒屋敷①

皆さんこんにちは~。

今回は阿波国西部の城跡に向かってみたいと思います(#^.^#)

↓↓以前、阿波国の城は南部と西部で発達している・・とご紹介しました(^^)↓↓ 

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 土佐をほぼ統一した長宗我部氏に2方向から攻められたわけですね。

当時家中がゴタゴタの最中にあった三好氏にとっては、今それどころじゃねーんだよ!!後にしろやゴルァ!!(#゜Д゜) ・・と、言いたかったかは分かりませんが、ともかく戦国の世。侵攻を待ってはくれません。

 

阿波国西部にはこの辺りの有力武将、大西さんが治めていた「白地城」という阿波西部有数の堅城がありましたが、残念ながら遺構はほぼ破壊し尽くされています。

ただ、白地城の支城群は遺構が良好に残る城跡が何カ所かあるようです。

 

まずは、白地城直近の支城「太鼓山城」へ。名前からして、敵が攻めてきたら太鼓を叩いて本城へ知らせたのかな?

太鼓山城

比高:約100m(国道からの比高)

駐車場:なし。登城口の国道沿い300mほど南に冬期タイヤチェーン脱着所があるので、一番隅っこに邪魔にならないように置くことは可能。もちろん自己判断で。当然ながら冬期、本来の目的に必要な天候の時は置いてはならない。

登城口:下記Googleマップを少し右上にスクロールすると「咲川製菓」さんの側に小さな路地があり、路地の奥の獣害柵の所。城内は真冬でもシダに覆われ、トレッキングシューズ推奨。フットカバーがあればなお良い。

 場所です↓↓

 

 城の縄張りは、尾根のピーク主郭として円形に削平、南西から時計回りに北東まで土塁で囲み(南は鋭い切岸)、東に虎口。2郭は主郭を取り巻く帯曲輪状で、北西に虎口。3郭はこれまた2郭の帯曲輪状で下の登城路に向けて張り出しを持ち、4郭は3郭下の空堀状の狭い空間。

・・と、登ってくる敵に対して、常にぐるっと最遠コースで迂回させ、かつ常に横矢が掛かりタコ殴りにできる。かなりいやらしい構造。

なんとなく長宗我部チックな臭いのする縄張りですが、この城設計した人、相当意地悪でドSに違いないぞ(笑)

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登城口。国道沿い北側から。このスロープの脇道を上ります。

 

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 脇道を少し登ると、すぐに柵が。脇に掛かっている札には、かなり字が読みにくくなっていますが、「注意 この近くにわな箱???(←読めない)入る者は注意お願い」とあります。

開けられるようにはなってませんが、イノシシ・シカ等の害獣柵で間違いなく、「入る者は注意お願い」と書かれているので入るのは問題なさそうです。右側のコンクリート壁によじ登り、柵を越えました。

山城跡にはよくある光景です。地元住民が見ていれば、挨拶して城跡の見学者であることを一言伝えましょう。

そして開け閉めできるタイプの柵は、どんなに短時間の散策でも開けたらその都度閉めましょう。城跡好きのマナーが問題になって完全封鎖されたら本末転倒ですから。。。

 

さて、20分ぐらい登ったでしょうか。落ち葉は多いですが、主郭のお宮への参道を兼ねているのでまぁまぁ上りやすい道が続きますが、途中から急に道がシダシダになってきます。真冬ですが、ちょっと心が折れそうです(笑)

 

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これを見たら進みすぎ。バァーック!!

ん?何か急に道が開けた。恐らく反対側からの参道。行きすぎた。バックだバック!!

この単騎駆けの細尾根、下は石垣で補強されていました。

後から調べたところ、元は堀切で、後の時代に堀切上に石垣で参道を整備した可能性がアリだとか。確かに、道の両側が不自然に凹んで落ちていたのを覚えています。

 

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↑何が何だかよく分かりませんが、見上げると尾根の頂上が見えるので主郭の南側直下。シダシダの道を戻るのが面倒なので、私はこの切岸を強引に直登(^^;)

 

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主郭

切岸の下からコンニチハ。

主郭はお宮になっていて、かなり手入れが行き届いています。

お宮の周りのシダシダは土塁ですね~(#^.^#)

 

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鳥居部分が主郭虎口。私が見つけられなかっただけで、下の道がシダシダになる前に参道があったようですね・・(^_^;)

 

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2郭に下りてみます。2郭は帯曲輪状で、画面左上が主郭です。

 

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3郭から見た2郭虎口。ちょうど中央の木の陰に隠れていますが。

ここから2郭に侵入したら反対側の主郭虎口にぐるっと遠回りして主郭虎口へ向かわないとなりません。その間、頭上の主郭からは矢玉が雨あられです。

ホンマに嫌な造りしてるな~(--〆)

 

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左:3郭内部  右:3郭下(北側)の腰曲輪群・・であろう(笑)

後述しますが、3郭は大きく北東に張り出しており、その直下が登城路となって3郭から狙い放題になっています。

 

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3郭北東の下。細長く狭い4郭。曲輪というよりは横堀に近いかと思います。

4郭奥には土塁がそびえ、ここに迷い込んだら閉じ込められ袋のネズミ。恐ろしや。

 

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↑4郭内部と土塁を撮影。

写真ではイマイチ伝わらないかもですが、土塁はかなり圧迫感があり、すごく閉じ込められている感がします。

ここから先に進むには3郭への切岸を登るしかないわけですが、実際かなりの急勾配で、平和な現代でも相当苦労しました。

個人的には、この4郭(横堀)と土塁がこの城跡のハイライトでした。

 

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シダに覆われていない箇所は見終わったので下山します。

↑↑ 下山し始めた時に振り返って撮ったのがコレ。

奥へは登城ルートがまっすぐ伸びています。で、右上が前述した3郭の張り出し部。

はい。攻め手の皆さんは、好き放題タコ殴りにされます。

 

ホントに築城主は意地の悪い頭の切れる築城に長けた人物だったのでしょうねぇ(^^;)

 

この城のプランとしては、東側を通る土佐からのメイン街道筋にあり、尾根のピークにあるため街道が上からまる見えです。危険が迫ったとき本城(白地城)に知らせる出城だったかと。

城の向きは完全に東で、東から登ってきた敵を3郭の張り出し部と、必殺の4郭で迎撃するつもりだったんでしょう。

激戦地ですし、東~北方向に竪堀が欲しい気もしますが。

そして、主郭南の防御があまりに薄い(切岸しか無い)ので、主郭背後の石垣の参道はホントに堀切だったのかもしれませんね。

 

次回、川崎城跡へ続きます

 

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阿波国の城跡@上大野城・畑山城・和食城・八多城④

和食城を見終わり、時間は正午を過ぎたところ。

近くの道の駅「鷲の里」でランチです。

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天ざるそば900円ナリ。

天ぷらは揚げたてのサクサク。そばはツルッとのどごし抜群で美味しかったです(^Д^)

うどん、そば、カレーなどの軽食が中心ですが、ご当地の食材を使ったメニューもあるようでした。

この道の駅、四国遍路の21番目のお寺へ行くロープウェイ乗り場と兼用なので、季節の良い休日はかなり混み合うのかも。今日は真冬の平日なのでガラガラでしたが。

 

さて、今日最後の目的地、徳島市の八多城跡へ。

築城時期はかなり古く、平安時代末期、平清盛に使えた阿波・讃岐に勢力を持っていた田口成良が関係した城、又は南北朝時代の城と伝わります。

手元には詳細な縄張図があるんですが、ココに載せると著作権上アウトなので載せられません。・・が、ネットでいくら調べても縄張図が見つからないので、即興で概略だけ自作しました↓↓

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阿波 八多城 縄張図(概略)

突き出した尾根の先端に腰郭、2郭、主郭と切岸で高さ出しながら並べ、尾根背後を4重堀切で守り、主郭に近い堀切は斜面に竪堀を落とします。

 

なんてこと無い、古い造りのよくある連郭式山城じゃん?と思ったアナタ、4重堀切なんて代物、阿波国ではほとんど見られない超激レアの貴重品です。

まあ、お隣の土佐国では、長宗我部さんが連続堀切なんて普通に作ってますが。。

ちなみに、4重堀切自体は多分戦国期の遺構でしょうが、長宗我部氏の影響があったという伝承は伝わっていないそうな。

 

八多城

比高:約190m

駐車場:なし。城山の麓すぐ北側、八多川北側沿いの道路は路肩が広いが自己判断で。

登城口:城山西側の谷筋に農道があり、これを登っていく。

 ↓↓場所です 。

ええ、言いたいことはよく分かりますとも。

何じゃコレは? 「ポ◯ンと一軒家」か?(笑)

てか、スポットのちょっと北にホントに一軒家が・・( ̄∇ ̄)

ここまで読んで頂いた方には分かるでしょう。

決して、この城は一人では行かないで下さい!!

まあ、一人で行った私が言うのも何ですが・・・

行くにはキチンとした登山装備が必要です。普通のスニーカーなんてもってのほか。必ず登山靴が必要です。途中からは道が無くなり、滑落の危険もあります

一人登城で滑落して怪我して体動かせなくなったら、遭難を意味しますので。。。

 

ただただ、4重堀切が見たくて。今回一番楽しみにしていた城ではあります。

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八多城跡遠景

近づいてきました。写真中央手前、三角形の山がそうです。

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拡大してみた。コレを登るのか・・。

山の西側(写真向かって右側)の谷筋から登っていけるようです。

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八多城近景

だいぶ近づいてきました。ここまで来たんだから、覚悟決めて登りましょう♪

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登城口

道がちょっと分かりにくいので貼っときます。ココを左斜めへ曲がり、写真奥のまっすぐ城山に向かっていく道が正解ルートです。

 

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本格的に山中に入ってきました。今はほとんど使われていないようで、荒れてはいますが、ちゃんとした舗装道です。

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石垣。もちろん城とは何の関係もありません。どうやら段々畑として使われており、そのための農道のようです。

 

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一軒家の正体

しばらく舗装道を登り、中腹にたどり着くと突然白い建物が。これが航空写真にポツンと写っていた一軒家に間違いないでしょう。

農作業小屋で、中は荒れ、もう何年も使われていないようでした。

 

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作業小屋を過ぎ、隣の斜面を見ると見事な段々畑。何かの遺跡みたい。

おそらくは昭和期、鳴り物入りで国営事業か何かで作られた農地開拓事業・・の現在の姿でしょうね。。ただ、雑木林化していないので、割と最近まで管理はされていたのかも。

そして、ここから本格的な登山になり、一気に足下が悪くなってきます。

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・・悪路・・と言うか、道が無くなってきました。人が歩いた跡はありますが、崩れたり途中に雑木が生えていたりでまっすぐ進むのも難しいです。

足下も悪く、真砂土に近いようなボロボロとすぐ崩れる土質で、気が抜けません。

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一瞬、城の石切場?と思いましたが石垣の必要な山城には思えません。恐らく自然現象だと思います。そしてここから急斜面を直登する感じになり、さらにキツくなります。

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主郭

尾根のピークに到着~♪

しかし、なんか嫌な予感が。

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多分この向こうが4重堀切

オイオイ、マジかよぅ・・(≧Д≦) シダシダでなんも分かりません(涙)藪漕ぎするにも限度を超えています。

一度斜面に降り、横移動して堀切を目指したりもしましたがダメでした。かなり粘って何度もトライしたんですがねぇ・・そして、私と同じように途中まで行ってあきらめた先人の跡が何カ所かに。(^◇^;)

主郭からの眺望も悪く、午後3時を回っているのでしゃーない。下山するかぁ!

 

斜面を直登してきたので、当然下りの方がキツい。木に手をかけ、少しでも斜面緩いところ探しながらゆっくり下りてきます。写真なんて撮ってるヒマはありませんでした。

余談ですが、本格的な登山でも、遭難するのは帰りの方が多いんだとか。そーならんように慎重に下ります。

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ふー。やっと人里に下りてきました。凄くほっとします( ´∀`)

 

まぁ、見えなかったものはしょうが無いですね。でも4重堀切は阿波国では貴重な遺構なのは確かです。

見に行きたい人は何人かでグループ作って、草刈り機担いでいくことをオススメします。

今回の記事はここまで。

では、またどこかの城跡で(^_^)/~~

阿波国の城跡@上大野城・畑山城・和食城・八多城③

さてさて、阿南市の畑山城を出発。

次は旧鷲敷町にある「和食城」(仁宇山城とも)に向かいます。

今まで中世から存在する山城メインに紹介してきましたが、和食城は少々今までとは事情が違いまして。

 

信長亡き後、秀吉による全国統一の戦争が繰り広げられますが、四国・阿波国もこの渦中に巻き込まれます。

この時、四国攻め、特に阿波国攻めに功績のあった蜂須賀氏に秀吉は阿波一国を恩賞として与え、その後は明治を迎えるまで蜂須賀氏が阿波国を治めることになります。

蜂須賀氏は阿波国の支配をスムーズに進めるため、本城として徳島城を築城、そして国内要所に9つの支城を配置します(阿波九城)が、その一つがこの和食城です。

 

和食城

比高:-

駐車場:城跡の蛭子神社南に参拝者用の駐車場あり。

登城口:神社入口。神社境内地なので特別な装備は何もいらない。

 

神社全体が主郭で、四角い形と思われるが土地の改変で城全体の縄張りは不明。

東と北を土塁で囲い、東は横堀も伴う。南東と北東隅に櫓台があり、北東には土橋付きの虎口があります。

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南の道沿いに駐車場があるので車を停め、鳥居をくぐればもう主郭。最近、登りが必要だったり駐車場の無い城跡が多かったので楽ちん♪ なんか新鮮(笑)

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2本の杉の大木。ご神木でしょう。奈良時代に植えられたと伝わる・・だそうですが、そんな昔から神社だったのか・・?廃城された後からじゃないんだろうか?

とりあえずお参りを済ませ、遺構を見せてもらいましょ。

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神社東側の土塁。境内からもよく見えてます。

 

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土塁に登ると横堀が。土塁に沿うように掘られています。

 

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堀内部に入ってみました。かなり明瞭に残ってます。堀の一番深い所と土塁の一番高い所では3m差ぐらいあります。

 

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堀の北東隅まで来ました。写真中央の土塁の切れ目(太い木が横倒しになってるところ)が虎口、虎口右のこんもりした土塁の高まりが櫓台と思います。

 

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別角度から。虎口に向かって土橋でつながっていますね。土橋の両側は横堀。

今、残る遺構の中では、一番この城の守りの要となる部分です♪

堀を越えて土塁をよじ登るよりは、土橋を通れば簡単に城へ侵入できますが、敵兵は1列になって進むしかなく、土塁と櫓台の二方向から集中攻撃を浴びる訳です。

 

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こちらは北側の土塁。

写真右側の白い部分は下に那賀川が流れていて、絶壁になって落ちています。

ここの土塁もかなり高く、川から船を横付けされて侵入するのを防ごうとしたのかな?と想像。

 

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ここで神社境内に戻ります。主郭の北西隅です。

ここで土塁は90度南に折れますが、その先は現在民家(社務所かも)となって土塁は消滅してしまってます。

なぜかは分かりませんが、この付近だけ丸っこい川原石で土塁が補強されています。

 

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こちらは南東隅の櫓台。

土塁の高まりはかなり広く、北東隅の物に比べるとかなり大きかったのだと思います。

 

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最後に那賀川の対岸からの全景。

河岸段丘先端の絶壁の城なのがよく分かりますね~。

てか、さっきまであの端っこスレスレの土塁上にいたわけで・・( ̄∇ ̄)

皆様も城跡めぐりはご安全に。

 

和食城跡、実は遺構の残り具合も一部だし、それほど期待せずに行ったんですが、期待以上に遺構がわかりやすく残り、かなりの満足です。

駐車場から徒歩30秒だし、神社境内なので非常に散策しやすいです。予想を超える土の遺構で、かなりのオススメ物件でした(*⌒▽⌒*)

 

時間もちょうど昼。

近くの道の駅で昼飯に突撃~(^□^)

次回に続きます。

阿波国の城跡@上大野城・畑山城・和食城・八多城②

さてさて、上大野城を出発。次は畑山城に向かいます。

畑山城、ちょっと変わっている城で、三重丸◎←※3重丸の文字が出ないんす。。のような形をしています。県内では他にも2,3例こういう縄張りの城があるようですが、かなり特異な形といえます。

books.rakuten.co.jp

↑↑城郭イラストで有名な香川元太郎先生の本です。畑山城のイラストが載ってるんですが、その城らしくない姿を見て以来、ずっと行ってみたかった城です(^^)v

では、城データを。

畑山城

比高:約30m

駐車場:軽自動車なら、城の北側の細い道から進んで、城のすぐ東側のため池の堤防上に駐車可能。普通車は多分無理。かなり遠くに停めて歩いてくるしかない。城のすぐ北側に大きな広場があるが、明らかに私有地なのであまりオススメはしない。また、城の南側の道路は車を擦るほど狭いので進入しない方が良い。

登城口:城東側のため池付近から入れる。城内は足下は悪いが比高が低く、スニーカー程度で問題ない。

通常の地図では分かりにくかったため、航空写真バージョンです。周りに何も無い城跡に行くときはホントに重宝します。この機能。

城の縄張りは、丘の頂上を丸く削平して主郭とし、同心円の形で主郭を取り巻くように2郭、その下に3郭を置きます。西側の3郭下に三日月上の腰郭を置き、東の尾根続きの箇所を1条の堀切で分断します。

また、3郭の西と東に1カ所ずつ竪土塁があります。

長宗我部方の城で、以前紹介した西方城、高源寺城と同一人物か、その一族が城主を務めたとされます。

 

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丸い形の城なので、どこから城内に入るのか迷いますが、周りをぐるっと細い道が取り囲んでいるので、城の東側のため池付近まで行くと城内に入れます。

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城内から見た堀切

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堀切のアップ

まず、堀切が出迎えてくれました。↑↑さっきの城周辺の航空写真も一度見てもらうと分かりますが、南東側が尾根続きになっているので、尾根を凹状に切土して敵が城の背後に回り込んで攻めてきた時に足止めするための仕掛けです。

ちなみに、こんな浅いので守れるの?と思ったアナタ、それは勘違いで、400年前の遺構なので、当然堀は崩れたり埋まったりして現代では浅くなっていますが、当時は最低でも人一人分ぐらいの深さはあったはずです。

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3郭にやってきました。城が丸い形しているのがよく分かりますね~(#^.^#)

奥の切岸(斜面)が少し盛り上がっているのが東側の竪土塁です。これも、当時はもっと鋭い造りで、木の柵なんかと組み合わせて3郭内の移動を制限していたはずです。

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なんじゃらホイ??

3郭内で変な機械発見。電気コードみたいなのが付いてるし、まだ使ってるのかも不明。何か知っている方いらっしゃったらコメント欄で教えて下さいませ<m(__)m>

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2郭に登ってきました。途中で石積みを発見!!

石がキレイすぎる気もするし、遺構では無いのかもしれませんが、遺構だとしたら崩れやすい箇所の土留め石でしょう。

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↑2郭です。シダシダでよくわかんない(;^^)

 

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↑こちらが主郭。尾根の先端だし、木が無ければ眺望が良いはずです。

 

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西側の竪土塁。東側に比べるとあまり保存状態は良くない。

 

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足下は3郭の西の端。竹藪下段の小さな平地が腰曲輪です。

 

さて、この城の築城プランですが、

①尾根が半島状に突き出した立地なので、3方向から攻められても対応可能なように城を円状にした

②一番突出する西側は腰郭で2重に防御。反対の尾根筋に回られたら東の堀切で足止め

③恐らく本気で戦うための城ではなく、物見のための砦

 

だと個人的には考えます。

③ですが、冒頭で書いたとおり、高源寺城と同じか、その一族が城主と伝わっています。いち早く長宗我部方に降っているので、三好軍と戦う訳ですが、三好軍は必ず北からやってきます。三好氏拠点の牛岐城からこの桑野地域に通じる2つの街道が合流する地点を見下ろすことができ、桑野城・高源寺城を見渡すこともできる位置にあるためです。

 

では、また次回ヾ(*´∀`*)ノ