城跡旅行!

旅行好きです。普通の旅行も好きですが、廃城跡(常識人の感覚で言うと、な~んもない城跡)が好きです。旅行・城跡での発見をメインに紹介するブログです。行ってみたいと思って頂ければ最高に嬉しいです。

阿波国の城跡@上大野城・畑山城・和食城・八多城④

和食城を見終わり、時間は正午を過ぎたところ。

近くの道の駅「鷲の里」でランチです。

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天ざるそば900円ナリ。

天ぷらは揚げたてのサクサク。そばはツルッとのどごし抜群で美味しかったです(^Д^)

うどん、そば、カレーなどの軽食が中心ですが、ご当地の食材を使ったメニューもあるようでした。

この道の駅、四国遍路の21番目のお寺へ行くロープウェイ乗り場と兼用なので、季節の良い休日はかなり混み合うのかも。今日は真冬の平日なのでガラガラでしたが。

 

さて、今日最後の目的地、徳島市の八多城跡へ。

築城時期はかなり古く、平安時代末期、平清盛に使えた阿波・讃岐に勢力を持っていた田口成良が関係した城、又は南北朝時代の城と伝わります。

手元には詳細な縄張図があるんですが、ココに載せると著作権上アウトなので載せられません。・・が、ネットでいくら調べても縄張図が見つからないので、即興で概略だけ自作しました↓↓

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阿波 八多城 縄張図(概略)

突き出した尾根の先端に腰郭、2郭、主郭と切岸で高さ出しながら並べ、尾根背後を4重堀切で守り、主郭に近い堀切は斜面に竪堀を落とします。

 

なんてこと無い、古い造りのよくある連郭式山城じゃん?と思ったアナタ、4重堀切なんて代物、阿波国ではほとんど見られない超激レアの貴重品です。

まあ、お隣の土佐国では、長宗我部さんが連続堀切なんて普通に作ってますが。。

ちなみに、4重堀切自体は多分戦国期の遺構でしょうが、長宗我部氏の影響があったという伝承は伝わっていないそうな。

 

八多城

比高:約190m

駐車場:なし。城山の麓すぐ北側、八多川北側沿いの道路は路肩が広いが自己判断で。

登城口:城山西側の谷筋に農道があり、これを登っていく。

 ↓↓場所です 。

ええ、言いたいことはよく分かりますとも。

何じゃコレは? 「ポ◯ンと一軒家」か?(笑)

てか、スポットのちょっと北にホントに一軒家が・・( ̄∇ ̄)

ここまで読んで頂いた方には分かるでしょう。

決して、この城は一人では行かないで下さい!!

まあ、一人で行った私が言うのも何ですが・・・

行くにはキチンとした登山装備が必要です。普通のスニーカーなんてもってのほか。必ず登山靴が必要です。途中からは道が無くなり、滑落の危険もあります

一人登城で滑落して怪我して体動かせなくなったら、遭難を意味しますので。。。

 

ただただ、4重堀切が見たくて。今回一番楽しみにしていた城ではあります。

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八多城跡遠景

近づいてきました。写真中央手前、三角形の山がそうです。

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拡大してみた。コレを登るのか・・。

山の西側(写真向かって右側)の谷筋から登っていけるようです。

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八多城近景

だいぶ近づいてきました。ここまで来たんだから、覚悟決めて登りましょう♪

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登城口

道がちょっと分かりにくいので貼っときます。ココを左斜めへ曲がり、写真奥のまっすぐ城山に向かっていく道が正解ルートです。

 

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本格的に山中に入ってきました。今はほとんど使われていないようで、荒れてはいますが、ちゃんとした舗装道です。

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石垣。もちろん城とは何の関係もありません。どうやら段々畑として使われており、そのための農道のようです。

 

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一軒家の正体

しばらく舗装道を登り、中腹にたどり着くと突然白い建物が。これが航空写真にポツンと写っていた一軒家に間違いないでしょう。

農作業小屋で、中は荒れ、もう何年も使われていないようでした。

 

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作業小屋を過ぎ、隣の斜面を見ると見事な段々畑。何かの遺跡みたい。

おそらくは昭和期、鳴り物入りで国営事業か何かで作られた農地開拓事業・・の現在の姿でしょうね。。ただ、雑木林化していないので、割と最近まで管理はされていたのかも。

そして、ここから本格的な登山になり、一気に足下が悪くなってきます。

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・・悪路・・と言うか、道が無くなってきました。人が歩いた跡はありますが、崩れたり途中に雑木が生えていたりでまっすぐ進むのも難しいです。

足下も悪く、真砂土に近いようなボロボロとすぐ崩れる土質で、気が抜けません。

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一瞬、城の石切場?と思いましたが石垣の必要な山城には思えません。恐らく自然現象だと思います。そしてここから急斜面を直登する感じになり、さらにキツくなります。

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主郭

尾根のピークに到着~♪

しかし、なんか嫌な予感が。

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多分この向こうが4重堀切

オイオイ、マジかよぅ・・(≧Д≦) シダシダでなんも分かりません(涙)藪漕ぎするにも限度を超えています。

一度斜面に降り、横移動して堀切を目指したりもしましたがダメでした。かなり粘って何度もトライしたんですがねぇ・・そして、私と同じように途中まで行ってあきらめた先人の跡が何カ所かに。(^◇^;)

主郭からの眺望も悪く、午後3時を回っているのでしゃーない。下山するかぁ!

 

斜面を直登してきたので、当然下りの方がキツい。木に手をかけ、少しでも斜面緩いところ探しながらゆっくり下りてきます。写真なんて撮ってるヒマはありませんでした。

余談ですが、本格的な登山でも、遭難するのは帰りの方が多いんだとか。そーならんように慎重に下ります。

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ふー。やっと人里に下りてきました。凄くほっとします( ´∀`)

 

まぁ、見えなかったものはしょうが無いですね。でも4重堀切は阿波国では貴重な遺構なのは確かです。

見に行きたい人は何人かでグループ作って、草刈り機担いでいくことをオススメします。

今回の記事はここまで。

では、またどこかの城跡で(^_^)/~~