阿波国の城跡@上大野城・畑山城・和食城・八多城①
こんにちは。今回も徳島県の南方の城跡に出かけてみました。
阿波国は戦国時代、長宗我部さんが侵攻してきたので西部と南部で城の発達が見られます。今の阿南市あたりで三好方の勢力と、度々合戦になったようで、守りの工夫を見てると面白いのです(・∀・)
上大野城
比高:約120m
駐車場:軽自動車なら頂上近くまで行けなくもないが、城山の南の「阿南市西部公園」(歩いて2~3分)に置くのが無難。
登城口:徳島県立阿南支援学校の北側。神社の参拝道。コンクリート舗装されているので特別な装備は必要ない。
三好氏方の拠点の一つで、長宗我部方の攻撃により落城したようです。
頂上の主郭跡に城山神社が整備され、主郭の東側に向かって2郭、3郭、半円状の帯郭と続きます。3郭の下に竪堀を落とし、東の端を堀切で守る構造。
阿南支援学校の横の道を進むと神社の参拝道が。ここから登っていきます。
登る途中、川原石の石垣を見つけました。丸っこくてカワイイ(^_^)参道工事によるもので城とは無関係ですが。城山はミカンか何か、柑橘系の畑として利用されているようです。登るにつれて眺めも良くなってきます。
所々、ん?遺構か?と思わせる城の道っぽい箇所がありますが、縄張り図にも載っていないし、恐らくこれらも参道工事でこうなっただけかと思われます。左の写真、見た瞬間は土塁だと思いました(;^^)
3郭に到着。祈念碑のような物が建てられています。どうやら参道と神社の整備工事で城全体の遺構がかなり改変を受けたと思われます。
こちらは2郭。まだ改変は少ないかな?
2郭の先端に3郭へ通じる虎口が残っていました。植え込みの隙間が2郭側の虎口。ここは親切に、わざと開けるように植えられています。
虎口内部。手前からいったん奥へ進み、方向をぐるっと変えて藪の向こうの右手前の方へ進む構造。Nの字のような動線になり、攻めにくく守りやすくするための仕掛けです。
こちらが主郭。ひっそりとしていますが、キレイに手入れされていました。
神社の裏手からの眺め。那賀川が大きく蛇行する箇所です。結構高さがあり、川までの距離もあります。
長宗我部軍と戦った際、籠城兵が鎖につけた瓶で川の水をくんでいたところを見つかり、瓶を射落とされたので水が尽き落城した・・と言う話が残っているようですが、ちょっと眉唾物かなぁ・・(笑)
さて、3郭の下にも遺構があるようなのでそちらを見に行きます。
3郭下の帯曲輪。非常に分かりにくい・・(^◇^;) 写真中央に左上から右下にかけて平坦地があります。
自分でも訳わかんなくなってきた(^◇^;) 写真のどこかに竪堀が写り込んでいる・・はず。心眼で見つけてください。てか、見つけた方はこっそりコメント欄で教えてください(笑)
この下に堀切が1条あるはずですが、コレを見る限り、あまり良い状態ではないと思われるのでパス(笑)
この城の防御プランは、
①城の西と南は那賀川の断崖絶壁なので攻め上がれない
②攻城ルートは東と北からなので、高さと虎口でしっかり守る
③南東側の堀切と竪堀で側面に回られるのを防ぐ
と、いったところを予想。
それにしては東側にもう少し防御のプランが欲しいし、北側の守りが甘すぎるような気もするけど。
さて、次の城に向かいます。