城跡旅行!

旅行好きです。普通の旅行も好きですが、廃城跡(常識人の感覚で言うと、な~んもない城跡)が好きです。旅行・城跡での発見をメインに紹介するブログです。行ってみたいと思って頂ければ最高に嬉しいです。

小豆島旅行@城跡と石切場にあこがれて~②

小豆島 星ヶ城跡

今回の旅行の最大目的、城跡と大阪城石切場に向かいます。まずは星ヶ城跡へ。

 

星ヶ城(ほしがじょう)標高817m、中世南北朝時代の山城で、南朝方の佐々木三郎左衛門尉飽浦信胤により築かれたそうな。曲輪、土塁、空堀、石塁などが残ります。

 

縄張り図は香川県埋蔵文化財センターさんで検索するとヒットしますが、リンクの可不可が不明なので各自検索を。

概要は城郭放浪記さまのサイト(いつもお世話になっています)が詳しいです。

讃岐・星ヶ城(城郭放浪記)

 

車のナビは、寒霞渓 ロープウェイの少し東

https://www.google.co.jp/maps/@34.5183286,134.3169928,239m/data=!3m1!1e3?hl=ja

ここにセットですよ。道はずっと2車線で、駐車場もきちんと整備されてます。

 

車を置き、登城開始。15分程度、林の中を歩きます。城跡感は無し~

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駐車場からの登城道

 

緩い坂道を登り切ると、T字路にぶつかります。まずは右(西側)の空堀と堀切へ。

空堀?堀切?なんじゃらホイ?と言う方のために説明すると、山城に多用される防御施設です。堀というと、姫路城や大阪城の立派な水堀を思い浮かべるかもしれませんが、水の張られていない堀です。デカい溝です。身長の倍ぐらいの溝にいったん降りて、また登らないと先に進めないトラップです。

 

堀切は山の細い尾根道をナタで切って分断したような空堀です。尾根道をまっすぐ進めなくなります。そしてどちらも堀底でノロノロしてる間に、頭上から守備兵の矢や鉄砲玉が降り注ぎます。ああ恐ろしや。

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空堀・・というか塹壕

空堀~。というか、ここのは堀の前が崖。堀をほって、全面に土の壁(土塁といいます)作って守備兵が堀の中に入って、崖を強引に登ってくる敵を迎え撃つための塹壕ですな。ま、防御より攻撃のための空堀です。

ちなみに説明板、×外的 〇外敵 ね(笑)

 

そのまま進むと西の峰のピークへ。四国側の眺め。これだから山城はやめられない。

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このままさらに西へ向かうと 堀切に到達。ほとんどこの城唯一と思える明瞭な遺構で、西側の尾根筋を断ち切っています。

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西の峰の堀切

真ん中が凹んでますね~。当時はもっと堀は深く、敵の侵入を拒むためにシャープでカッコ良かったはずです。遺構も人も、年とったら体型が丸くなってくるの・・(笑)

 

西側のめぼしい遺構は見たので、東側へ移動。こちらが星ヶ城の主郭と思われます。

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東峰の出隅の石塁跡

こちらも良~い眺め♪人頭大の石がゴロゴロしてます。城が現役だった頃(南北朝時代)から考えると、石垣とは考えづらく、土留めの石ではないでしょうか。単に、その辺に石があったので斜面が崩れないように・・その程度の理由で置かれた石のような気がします。

 

で、主郭に到達。デーンと鎮座するアンコールワット風の建物(といって良いのか

)これは一体何すか??

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パンフレットを調べてみると、昭和35年頃、新興宗教の信者さんがこの主郭に山小屋を建てて住みながらコレを築いたんだとか。でも何のために作られたのは不明とのこと。

使えねぇパンフだ

 

でも、この城跡の見所はこの謎の遺跡のような気がする。そもそも、城跡なのに縄張りがほとんど分からなくなっているので、巧みな縄張りとかは全く期待せずにいった方が良いです。

小豆島最高峰からの景色と、謎すぎる天空の遺跡。ここはそれを楽しむ場所です。

景色見ながらバ〇スとかいう呪文を唱えて次に向かうことにします。

 

次回は、天狗岩丁場(大阪城石切場)へ向かいます。

小豆島旅行@城跡と石切場にあこがれて~③へ。

 

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