小豆島旅行@城跡と石切場にあこがれて~③
大坂城石垣石切場
見出し、誤字ではないのです。。「大阪」と書くようになったのは江戸時代に入ってから。安土桃山時代、城ができた時代は「大坂城」が正しいようです。
途中、マルキン醤油記念館に立ち寄り、醤油造りの歴史を学びました。昔ながらの醤油造りの過程が学べます。
で、一番印象に残ったのが醤油ソフトです(笑)メッチャ醤油の味がします。中途半端じゃありません。がっつり醤油味です。安物じゃなく、お高い醤油の味です。個人的にはかなり美味しかった♪300円ナリ。
さて、星ヶ城を後にして今回の旅のメイン、ずっと行きたかったあこがれの大坂城石垣の石切場へ。 www.google.co.jp
↑↑場所はコチラ。道路脇が広くなっていて、石碑が建っています。車4,5台なら置けるかと。
車置いて登っていきます。どんな石に出会えるかな?o(^-^)oワクワク
スゲェ!!
凄すぎる!!!(゜Д゜)
もうやめて~(笑)腰が砕ける~(≧Д≦)
すみません。<m(__)m>取り乱してしまいました。
石に残る凹みは400年前の鑿の跡です。石を割るために鑿をこんな風に並べて上からハンマーで叩き、石を割っていたんです。割れた石を船に乗せて小豆島から海路、大坂まで運んでいたんですねぇ。
大坂の陣で豊臣氏を滅ぼした徳川幕府は、豊臣大阪城を埋め立て、新しい大阪城の築城を全国の大名に命じます。その時、石垣に使う良質な石材は小豆島を始めとする瀬戸内海の島々に求めたそうです。
ここで採石したのは福岡藩、黒田長政。あの名軍師、黒田官兵衛の嫡男です。
黒田家は、大阪城完成後も石切場の残石を勝手に使われることを警戒し、明治時代に至るまで番人を置いて厳しく見張らせたんだとか。
↑↑※※小豆島町企画財政課様発行の探索マップから引用させて頂きました※※
400年前の石工さんたちが必死で割ろうとした石。ホントに凄い。ただの石といえばそれまでですが、歴史の生き証人と言えると思います。
さて、石と戯れていたら日が暮れてきたので宿に向かいます。
国民宿舎と言うことで、かなりお安く泊まれました~。
妻と二人で素泊まり一部屋13,260円!!
夕暮れの景色もキレイですね~(*^▽^*)
食事は予約してなかったので、宿で通常出してる定食を。
瀬戸内海の海の幸がふんだんでとっても美味しかったですよ!!
城攻めの後なのでビールが最高に美味しいです~(#^.^#)
さて、城跡攻めに付き合ってくれた妻に感謝しつつ、明日は普通の観光を(笑
小豆島旅行@城跡と石切場にあこがれて~④に続きます。