城跡旅行!

旅行好きです。普通の旅行も好きですが、廃城跡(常識人の感覚で言うと、な~んもない城跡)が好きです。旅行・城跡での発見をメインに紹介するブログです。行ってみたいと思って頂ければ最高に嬉しいです。

阿波国の城跡@太鼓山城・川崎城・花駒屋敷①

皆さんこんにちは~。

今回は阿波国西部の城跡に向かってみたいと思います(#^.^#)

↓↓以前、阿波国の城は南部と西部で発達している・・とご紹介しました(^^)↓↓ 

dft4619.hatenablog.com

 土佐をほぼ統一した長宗我部氏に2方向から攻められたわけですね。

当時家中がゴタゴタの最中にあった三好氏にとっては、今それどころじゃねーんだよ!!後にしろやゴルァ!!(#゜Д゜) ・・と、言いたかったかは分かりませんが、ともかく戦国の世。侵攻を待ってはくれません。

 

阿波国西部にはこの辺りの有力武将、大西さんが治めていた「白地城」という阿波西部有数の堅城がありましたが、残念ながら遺構はほぼ破壊し尽くされています。

ただ、白地城の支城群は遺構が良好に残る城跡が何カ所かあるようです。

 

まずは、白地城直近の支城「太鼓山城」へ。名前からして、敵が攻めてきたら太鼓を叩いて本城へ知らせたのかな?

太鼓山城

比高:約100m(国道からの比高)

駐車場:なし。登城口の国道沿い300mほど南に冬期タイヤチェーン脱着所があるので、一番隅っこに邪魔にならないように置くことは可能。もちろん自己判断で。当然ながら冬期、本来の目的に必要な天候の時は置いてはならない。

登城口:下記Googleマップを少し右上にスクロールすると「咲川製菓」さんの側に小さな路地があり、路地の奥の獣害柵の所。城内は真冬でもシダに覆われ、トレッキングシューズ推奨。フットカバーがあればなお良い。

 場所です↓↓

 

 城の縄張りは、尾根のピーク主郭として円形に削平、南西から時計回りに北東まで土塁で囲み(南は鋭い切岸)、東に虎口。2郭は主郭を取り巻く帯曲輪状で、北西に虎口。3郭はこれまた2郭の帯曲輪状で下の登城路に向けて張り出しを持ち、4郭は3郭下の空堀状の狭い空間。

・・と、登ってくる敵に対して、常にぐるっと最遠コースで迂回させ、かつ常に横矢が掛かりタコ殴りにできる。かなりいやらしい構造。

なんとなく長宗我部チックな臭いのする縄張りですが、この城設計した人、相当意地悪でドSに違いないぞ(笑)

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登城口。国道沿い北側から。このスロープの脇道を上ります。

 

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 脇道を少し登ると、すぐに柵が。脇に掛かっている札には、かなり字が読みにくくなっていますが、「注意 この近くにわな箱???(←読めない)入る者は注意お願い」とあります。

開けられるようにはなってませんが、イノシシ・シカ等の害獣柵で間違いなく、「入る者は注意お願い」と書かれているので入るのは問題なさそうです。右側のコンクリート壁によじ登り、柵を越えました。

山城跡にはよくある光景です。地元住民が見ていれば、挨拶して城跡の見学者であることを一言伝えましょう。

そして開け閉めできるタイプの柵は、どんなに短時間の散策でも開けたらその都度閉めましょう。城跡好きのマナーが問題になって完全封鎖されたら本末転倒ですから。。。

 

さて、20分ぐらい登ったでしょうか。落ち葉は多いですが、主郭のお宮への参道を兼ねているのでまぁまぁ上りやすい道が続きますが、途中から急に道がシダシダになってきます。真冬ですが、ちょっと心が折れそうです(笑)

 

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これを見たら進みすぎ。バァーック!!

ん?何か急に道が開けた。恐らく反対側からの参道。行きすぎた。バックだバック!!

この単騎駆けの細尾根、下は石垣で補強されていました。

後から調べたところ、元は堀切で、後の時代に堀切上に石垣で参道を整備した可能性がアリだとか。確かに、道の両側が不自然に凹んで落ちていたのを覚えています。

 

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↑何が何だかよく分かりませんが、見上げると尾根の頂上が見えるので主郭の南側直下。シダシダの道を戻るのが面倒なので、私はこの切岸を強引に直登(^^;)

 

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主郭

切岸の下からコンニチハ。

主郭はお宮になっていて、かなり手入れが行き届いています。

お宮の周りのシダシダは土塁ですね~(#^.^#)

 

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鳥居部分が主郭虎口。私が見つけられなかっただけで、下の道がシダシダになる前に参道があったようですね・・(^_^;)

 

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2郭に下りてみます。2郭は帯曲輪状で、画面左上が主郭です。

 

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3郭から見た2郭虎口。ちょうど中央の木の陰に隠れていますが。

ここから2郭に侵入したら反対側の主郭虎口にぐるっと遠回りして主郭虎口へ向かわないとなりません。その間、頭上の主郭からは矢玉が雨あられです。

ホンマに嫌な造りしてるな~(--〆)

 

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左:3郭内部  右:3郭下(北側)の腰曲輪群・・であろう(笑)

後述しますが、3郭は大きく北東に張り出しており、その直下が登城路となって3郭から狙い放題になっています。

 

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3郭北東の下。細長く狭い4郭。曲輪というよりは横堀に近いかと思います。

4郭奥には土塁がそびえ、ここに迷い込んだら閉じ込められ袋のネズミ。恐ろしや。

 

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↑4郭内部と土塁を撮影。

写真ではイマイチ伝わらないかもですが、土塁はかなり圧迫感があり、すごく閉じ込められている感がします。

ここから先に進むには3郭への切岸を登るしかないわけですが、実際かなりの急勾配で、平和な現代でも相当苦労しました。

個人的には、この4郭(横堀)と土塁がこの城跡のハイライトでした。

 

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シダに覆われていない箇所は見終わったので下山します。

↑↑ 下山し始めた時に振り返って撮ったのがコレ。

奥へは登城ルートがまっすぐ伸びています。で、右上が前述した3郭の張り出し部。

はい。攻め手の皆さんは、好き放題タコ殴りにされます。

 

ホントに築城主は意地の悪い頭の切れる築城に長けた人物だったのでしょうねぇ(^^;)

 

この城のプランとしては、東側を通る土佐からのメイン街道筋にあり、尾根のピークにあるため街道が上からまる見えです。危険が迫ったとき本城(白地城)に知らせる出城だったかと。

城の向きは完全に東で、東から登ってきた敵を3郭の張り出し部と、必殺の4郭で迎撃するつもりだったんでしょう。

激戦地ですし、東~北方向に竪堀が欲しい気もしますが。

そして、主郭南の防御があまりに薄い(切岸しか無い)ので、主郭背後の石垣の参道はホントに堀切だったのかもしれませんね。

 

次回、川崎城跡へ続きます

 

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