阿波国の城跡@太鼓山城・川崎城・花駒屋敷②
皆さんこんにちは。前回より阿波国西部を攻めております。
太鼓山城を攻めた直後ですが結構疲労が来てます。いや、体力面じゃありません。シダシダだらけの城跡を藪漕ぎしながら進んだ精神的な疲労です(笑)
次は同じ三好市池田町内の川崎城跡へ。
急勾配登るのは苦ではないので、下草のない所だと良いなぁ・・f(^^;)
この城跡、かなり辺鄙なところにあり、近くまで車で行けるのは良いけど、なぜこんな所に??と思って事前に調べておきました。
城の東側直下に現在も林道が通っていますが、かなり古い時代の街道筋のようで、土佐との交通の監視目的で造られた白地城支城群の一つのようです。
では、城データを。
川崎城
比高:約100m(私が車を置いた場所から)
駐車場:舗装林道から大きく山側へ折り返す箇所に1台分(3ナンバー車はここが無難)、折り返し登り、コンクリートの簡易舗装が終わった箇所に5~6台ぐらい。(主郭直下への分岐点に大きな広場があるが、工事中と思われるので侵入しない方が良いと思う)
登城口:下記で紹介する「城郭放浪記さまのサイト」が詳しいですが、まず、R32号線「祖谷口駅」と「阿波川口駅」中間地点に、「林道川崎国見山線」と緑の看板で書かれた吉野川に掛かる橋を渡り、ひたすら進みます。
「正木」という地名のあたり・・Googleマップで「三好市池田町川崎正木」と検索すれば出てきます。Googleマップで「正木」の文字が表示されるちょっと北です。
携帯の電波(私はdocomo回線の格安スマホ)は十分入るので、マップを表示させながら行くと良いと思います。
・・余談だが、「正木」の東の「あんこく」って地名、なんだコレ(笑)
↓ 場所です。
ハイ、訳分かりませんね(笑)2回ほど拡大して下(南)にスクロールして下さい。「正木」の地名と、ついでに「あんこく」が出てきます。
「正木」の林道折り返し点まで来れば、あとは道なりで迷うことはありません。
↓ 城郭放浪記さまのサイトです。縄張り図完備。いつもながら素晴らしい。
R32から分岐する「国見山橋」を渡り、ひたすら進みます。
林道とはいえ、最初は集落や工場もあり、一般の生活道という感じですが、2,30分進むとカーナビから道は表示されなくなり、舗装もアスファルトからコンクリートになります。コンクリ舗装はタイヤの敏感お肌に大敵(^^;)
例の「正木」まで来ました。折り返し地点、ココです!!
折り返しの坂路の下に1台分駐車できます。私はここに車を置いて歩きました。
坂路もコンクリートで簡易舗装され、車でも十分登れます。・・が、大小落石がゴロゴロしているので、車が傷つくリスクは承知の上で。
徒歩で10分弱でしょうか。簡易舗装も終了しました。
左の脇に駐車スペースがあり、5~6台は置けると思います。
この後は20分ほど、なだらかな山道を歩いて行きます。
分岐点。左へ行くと城域。右は2020.2月時点、工事中で立ち入り禁止です。
ご覧の通り、ここまで車で来て駐車することも可能ですが、これまでの道で工事車両と鉢合わせするかも。何より工事の邪魔なのでやめた方が良いと思います。(左の軽ワゴンは工事関係者の車)
ココを左へ進み、スマホでGoogleマップを見ながら行くと、主郭(上記紹介した場所)の直下辺りで山側に登れそうな道が。
後はひたすら登ります。尾根にたどり着くと、北側の峰との鞍部に出る可能性も高いですが(実際、鞍部にたどり着いた私は最初、鞍部を堀切と勘違いした)、とにかく一番高いピークを目指して下さい。ピークが主郭です。
はい、出ました~(^o^) 手前の足下が尾根筋、堀切を挟んだ向こうが主郭側です。
堀切内部~(#^.^#)
堀切はセオリー通り、両側が竪堀となって落ちる。特に西側が明瞭に残っています。
堀切を越えたところ。
足下は主郭下の腰郭、堀切を挟んで単騎駆けの、やせ尾根。
ボコボコした土の遺構が実に見事。いや~、城跡好きにはたまらん絶景ですな~(*^_^*)
腰郭の内部です。前面に土塁を盛って防御しているのが分かると思います。
1つ前の土がボコボコした写真はこの土塁上から撮ってます。
ところで、余談ですが、写真中央やや上に青い石碑みたいなのが見えますね。
(ちなみに赤い棒は測量用の杭)
この城で戦闘が起こったかどうかは不明ですが、あちらこちらに複数ありました。・・おそらくは塚、つまり墓石かと思います。石の下には、この城で亡くなった当時の人が大勢埋葬されている事でしょう。。塚の周りを踏まないように気をつけて散策します。
主郭から腰郭を見下ろしたところ。腰郭といっても、かなりの広さです。
こちらは主郭全面を守る土塁。守備兵はこれに身を隠しながら攻め手を迎え撃ちます。
主郭はほぼ円形で、背後(南側)もぐるりと土塁で守られています。今は風化し、わずかな高まりですが、当時はもっと高く守られていたはずです。
こちらは南側土塁の下。
わずかに残る三日月状の平坦地は帯曲輪の名残の可能性があるとのこと。
これだけの切岸と絶壁。帯曲輪はいらないような気がせんでもない・・(^_^;)
かわって主郭西側。こちらは傾斜が緩く、しっかり堀切で守られています。
さすが、分かっていらっしゃる(笑)
西側堀切の内部。かなりの高低差があるのがおわかり頂けると思います。
堀切の向こう側は緩斜面に沿って数段、段曲輪がひな壇のように配置されています。
さすが×2、分かっていらっしゃる(笑笑)
さて、主郭に戻り、北側大堀切を越えて帰路につきます。
↑ 単騎駆けのやせ尾根。来るときは気づかなかったですが、尾根鞍部との境に不自然な高まりが。恐らくは櫓台でしょう。
この城の狙いですが、東側に土佐に通じる古い街道が通っており、街道監視・本城(白地城)守りの出城と見て良いと思います。
主郭の南と東はかなりの絶壁なので、私もそうしたように、少し北側の斜面の緩いところから尾根の鞍部にいったん登ることを想定。
後は、自然地形を生かしたやせ尾根で単騎ずつ前進してきた敵を必殺の北側大堀切で動きを止め、一網打尽にする。
西側は傾斜が緩いので腰曲輪群と堀切でしっかり防御。
非常にシンプルで分かりやすい城ですが、防御の意図が明確な分、実は相当堅固な城じゃないかなぁ?という印象でした(^^)
次回、花駒屋敷跡に続きます