城跡旅行!

旅行好きです。普通の旅行も好きですが、廃城跡(常識人の感覚で言うと、な~んもない城跡)が好きです。旅行・城跡での発見をメインに紹介するブログです。行ってみたいと思って頂ければ最高に嬉しいです。

阿波国の城跡@西方城・高源寺城②

さて、徳島ラーメンでお腹も満たされたので高源寺城跡へ向かいます。

西方城から5kmほど南にあり、恐らく両城連携してこの地を守備したと思われ、西方城城主の一族が城主を務めていたようです。

4重堀切、竪堀に竪土塁まで装備した、徳島では超エリートさんです。

高源寺城跡

比高:約80m

駐車場:近くには無し。1km以上南に公民館あり。他に城跡の東、「川上神社」の東側に桑野川と農業用水?の水門があり、水門管理用の空き地の隅に1,2台のスペースはあるが自己責任で。

登城口:上記「川上神社」から南西へ200mほど行くと小さな十字路があり、北へ曲がると小さな神社にたどり着く。神社の左手奥へ進み、途中で沢を西へ越えるとたどり着く。沢を越えるまでは倒木多数だが、越えた後は杉林で管理されているため歩きやすい。

城は「Y」の字を上下逆さにしたような形で、南側を意識して作られています。南北に細長い尾根のピークに土塁で囲われた主郭。内部に櫓台を置き、その南に2郭、帯曲輪風の3郭と続きます。主郭の南端と3郭の南端から数段の腰郭群を2方向に配します。

主郭の北側尾根は鋭い4重(5重かも)堀切で断ち切り、特に2条目は堀切が竪堀となって麓まで落ち込み、竪堀には竪土塁まで付いた豪華な造り。 3条目、4条目には土橋が付属します。4条目のさらに北側にもう一条小さな凹みがありましたが、規模が小さく、5重目かどうかはよく分かりません。堀切の間もそれぞれが曲輪となっています。

・・と、明らかに阿波国にしては厳重すぎる守り。西方城と共に早くから長宗我部方に降ったため築城にも影響を受けたと思われます。

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今はここからは入れない

ネット情報ではこの青い屋根の工場横の路地を看板の通り進めば城跡にたどり着く・・とありましたが、現在、途中で金網のバリケードがあり立ち入り禁止になっていました。明らかに私有地だし、勝手に乗り越えるのはマナー違反、下手したら犯罪行為になるのでダメですよ。

民家の方に声をかけたら開けてくれるのかもしれませんが、他の登城口を探します。

 

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現在の登城口

ここです!この交差点を北側に進むと、鳥居が見えてきます。

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ここが出発点

鳥居をくぐると小さな社。その左奥へ行けば城跡の方角のはずです。

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社の左奥へ進んだところ

社を左奥に進むと石積みがありますが、恐らく段々畑跡で城とは無関係でしょう。倒木が多く、足下の状態は悪いです。

左手に沢があり、これを越えれば城域にたどり着くはず。

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沢に架かる橋

しばらく行くと、ありました!橋!なんとも心許ない!!(^^;)

2本の丸太を番線で止めただけの橋です。てか、番線は既に外れかかっていました。渡るのが非常に怖かった・・(・ω・) あと数年すれば確実に朽ちるでしょう。もう少し先に進めば沢が浅くなっているので渡れないことはないと思います。

沢を渡りきると杉林となります。こちらは手入れがされているようで、ちゃんと人が歩いた跡がしっかりついているので、道なりに登っていきます。

10分ほど登り、ふと上を見上げると、そこには・・

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竪堀と竪土塁

ん?これって竪堀じゃね?

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竪堀と竪土塁

あー!!間違いない!!竪堀だ~♪しかも竪土塁まで付いてる~(≧∀≦)

早速、竪堀を登っていきましょう(*⌒▽⌒*)

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2条目の堀切

竪堀を登りきると堀切となって主郭へ通じる尾根を分断。かなり見下ろす格好になってますね~。もし戦国時代なら、侵入者の私はこの堀切で討ち死にしている事でしょう。

まずは搦め手側を見に行きます。

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3条目の堀切

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4条目の堀切

3,4城目の堀切。4条目は木の陰に隠れていますが、それぞれ土橋が付属。4条目は特に鋭く保存状態が良いです。

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5条目?

ちょうど木が横に倒れている所がわずかに凹み、5条目の堀切?・・かもしれませんが、堀切と言うにはあまりに幅が狭く、自然地形かもしれません。

ここで主郭側に引き返します。2条目の竪堀付きを越えると1条目の堀切です。

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1条目の堀切

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主郭櫓台から見た1条目堀切

堀切の深さはやはり1条目が一番深いです。400年経った現在でも乗り越えるのはかなり苦労しました。

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主郭

こちらが主郭。奥に見える高まりが櫓台です。尾根筋を利用しているので、主郭と行ってもそれほど広くはありません。

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主郭下の腰曲輪群

作業用モノレールに沿って不自然に平らになっているところが腰曲輪。

ネット情報にあった、以前使えていた登城路からはここに出るようです。

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2郭と3郭

左:主郭から見た2郭、右:2郭から見た3郭。

主郭同様、尾根筋を削平しているので広くはない。

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3郭下の腰曲輪群

3郭の下をのぞき込むと、3段ほどの腰曲輪となっていました。城域はここまでのようです。

 

この城の築城プランは、

①南方を意識して曲輪群でガッシリ防御を固める

②敵は南からは攻めるのは避け、傾斜の緩い東西の谷筋から竪堀を登ってくるので、竪堀内と堀切1,2条目にわざと誘い込んで袋だたき

③後ろに回り込んだ敵は3,4条目の堀切で動きを止めてボコる

 

と言った所でしょう。

コンパクトな設計で技巧の巧みさはないけど、敵を殺す気全開モードの城です(笑)

こういう城跡には阿波国ではほとんど出会えません。遺構の状態も非常に素晴らしく、城跡好きの方にはぜひ行ってみて欲しい城跡でした(*⌒▽⌒*)