阿波国の城跡@上大野城・畑山城・和食城・八多城②
さてさて、上大野城を出発。次は畑山城に向かいます。
畑山城、ちょっと変わっている城で、三重丸◎←※3重丸の文字が出ないんす。。のような形をしています。県内では他にも2,3例こういう縄張りの城があるようですが、かなり特異な形といえます。
↑↑城郭イラストで有名な香川元太郎先生の本です。畑山城のイラストが載ってるんですが、その城らしくない姿を見て以来、ずっと行ってみたかった城です(^^)v
では、城データを。
畑山城
比高:約30m
駐車場:軽自動車なら、城の北側の細い道から進んで、城のすぐ東側のため池の堤防上に駐車可能。普通車は多分無理。かなり遠くに停めて歩いてくるしかない。城のすぐ北側に大きな広場があるが、明らかに私有地なのであまりオススメはしない。また、城の南側の道路は車を擦るほど狭いので進入しない方が良い。
登城口:城東側のため池付近から入れる。城内は足下は悪いが比高が低く、スニーカー程度で問題ない。
通常の地図では分かりにくかったため、航空写真バージョンです。周りに何も無い城跡に行くときはホントに重宝します。この機能。
城の縄張りは、丘の頂上を丸く削平して主郭とし、同心円の形で主郭を取り巻くように2郭、その下に3郭を置きます。西側の3郭下に三日月上の腰郭を置き、東の尾根続きの箇所を1条の堀切で分断します。
また、3郭の西と東に1カ所ずつ竪土塁があります。
長宗我部方の城で、以前紹介した西方城、高源寺城と同一人物か、その一族が城主を務めたとされます。
丸い形の城なので、どこから城内に入るのか迷いますが、周りをぐるっと細い道が取り囲んでいるので、城の東側のため池付近まで行くと城内に入れます。
まず、堀切が出迎えてくれました。↑↑さっきの城周辺の航空写真も一度見てもらうと分かりますが、南東側が尾根続きになっているので、尾根を凹状に切土して敵が城の背後に回り込んで攻めてきた時に足止めするための仕掛けです。
ちなみに、こんな浅いので守れるの?と思ったアナタ、それは勘違いで、400年前の遺構なので、当然堀は崩れたり埋まったりして現代では浅くなっていますが、当時は最低でも人一人分ぐらいの深さはあったはずです。
3郭にやってきました。城が丸い形しているのがよく分かりますね~(#^.^#)
奥の切岸(斜面)が少し盛り上がっているのが東側の竪土塁です。これも、当時はもっと鋭い造りで、木の柵なんかと組み合わせて3郭内の移動を制限していたはずです。
なんじゃらホイ??
3郭内で変な機械発見。電気コードみたいなのが付いてるし、まだ使ってるのかも不明。何か知っている方いらっしゃったらコメント欄で教えて下さいませ<m(__)m>
2郭に登ってきました。途中で石積みを発見!!
石がキレイすぎる気もするし、遺構では無いのかもしれませんが、遺構だとしたら崩れやすい箇所の土留め石でしょう。
↑2郭です。シダシダでよくわかんない(;^^)
↑こちらが主郭。尾根の先端だし、木が無ければ眺望が良いはずです。
西側の竪土塁。東側に比べるとあまり保存状態は良くない。
足下は3郭の西の端。竹藪下段の小さな平地が腰曲輪です。
さて、この城の築城プランですが、
①尾根が半島状に突き出した立地なので、3方向から攻められても対応可能なように城を円状にした
②一番突出する西側は腰郭で2重に防御。反対の尾根筋に回られたら東の堀切で足止め
③恐らく本気で戦うための城ではなく、物見のための砦
だと個人的には考えます。
③ですが、冒頭で書いたとおり、高源寺城と同じか、その一族が城主と伝わっています。いち早く長宗我部方に降っているので、三好軍と戦う訳ですが、三好軍は必ず北からやってきます。三好氏拠点の牛岐城からこの桑野地域に通じる2つの街道が合流する地点を見下ろすことができ、桑野城・高源寺城を見渡すこともできる位置にあるためです。
では、また次回ヾ(*´∀`*)ノ