城跡旅行!

旅行好きです。普通の旅行も好きですが、廃城跡(常識人の感覚で言うと、な~んもない城跡)が好きです。旅行・城跡での発見をメインに紹介するブログです。行ってみたいと思って頂ければ最高に嬉しいです。

阿波国の城跡@上大野城・畑山城・和食城・八多城①

こんにちは。今回も徳島県の南方の城跡に出かけてみました。

阿波国は戦国時代、長宗我部さんが侵攻してきたので西部と南部で城の発達が見られます。今の阿南市あたりで三好方の勢力と、度々合戦になったようで、守りの工夫を見てると面白いのです(・∀・)

大野城

比高:約120m

駐車場:軽自動車なら頂上近くまで行けなくもないが、城山の南の「阿南市西部公園」(歩いて2~3分)に置くのが無難。

登城口:徳島県立阿南支援学校の北側。神社の参拝道。コンクリート舗装されているので特別な装備は必要ない。

 

三好氏方の拠点の一つで、長宗我部方の攻撃により落城したようです。

頂上の主郭跡に城山神社が整備され、主郭の東側に向かって2郭、3郭、半円状の帯郭と続きます。3郭の下に竪堀を落とし、東の端を堀切で守る構造。

f:id:d_f_t:20200203130238j:plain

阿南支援学校の横の道を進むと神社の参拝道が。ここから登っていきます。

f:id:d_f_t:20200203130449j:plain
f:id:d_f_t:20200203130502j:plain

登る途中、川原石の石垣を見つけました。丸っこくてカワイイ(^_^)参道工事によるもので城とは無関係ですが。城山はミカンか何か、柑橘系の畑として利用されているようです。登るにつれて眺めも良くなってきます。

f:id:d_f_t:20200203130943j:plain
f:id:d_f_t:20200203131001j:plain

所々、ん?遺構か?と思わせる城の道っぽい箇所がありますが、縄張り図にも載っていないし、恐らくこれらも参道工事でこうなっただけかと思われます。左の写真、見た瞬間は土塁だと思いました(;^^)

f:id:d_f_t:20200203131705j:plain

3郭に到着。祈念碑のような物が建てられています。どうやら参道と神社の整備工事で城全体の遺構がかなり改変を受けたと思われます。

f:id:d_f_t:20200203132109j:plain
f:id:d_f_t:20200203132133j:plain

こちらは2郭。まだ改変は少ないかな?

 

f:id:d_f_t:20200203132408j:plain

2郭側虎口

2郭の先端に3郭へ通じる虎口が残っていました。植え込みの隙間が2郭側の虎口。ここは親切に、わざと開けるように植えられています。

f:id:d_f_t:20200203132437j:plain

虎口内部。手前からいったん奥へ進み、方向をぐるっと変えて藪の向こうの右手前の方へ進む構造。Nの字のような動線になり、攻めにくく守りやすくするための仕掛けです。

 

f:id:d_f_t:20200203133439j:plain


こちらが主郭。ひっそりとしていますが、キレイに手入れされていました。

f:id:d_f_t:20200203133709j:plain

神社の裏手からの眺め。那賀川が大きく蛇行する箇所です。結構高さがあり、川までの距離もあります。

長宗我部軍と戦った際、籠城兵が鎖につけた瓶で川の水をくんでいたところを見つかり、瓶を射落とされたので水が尽き落城した・・と言う話が残っているようですが、ちょっと眉唾物かなぁ・・(笑)

さて、3郭の下にも遺構があるようなのでそちらを見に行きます。

f:id:d_f_t:20200203134331j:plain

3郭下の帯曲輪。非常に分かりにくい・・(^◇^;) 写真中央に左上から右下にかけて平坦地があります。

f:id:d_f_t:20200203134758j:plain

自分でも訳わかんなくなってきた(^◇^;) 写真のどこかに竪堀が写り込んでいる・・はず。心眼で見つけてください。てか、見つけた方はこっそりコメント欄で教えてください(笑)

この下に堀切が1条あるはずですが、コレを見る限り、あまり良い状態ではないと思われるのでパス(笑)

 

この城の防御プランは、

①城の西と南は那賀川の断崖絶壁なので攻め上がれない

②攻城ルートは東と北からなので、高さと虎口でしっかり守る

③南東側の堀切と竪堀で側面に回られるのを防ぐ

 

と、いったところを予想。

それにしては東側にもう少し防御のプランが欲しいし、北側の守りが甘すぎるような気もするけど。

さて、次の城に向かいます。

阿波国の城跡@西方城・高源寺城②

さて、徳島ラーメンでお腹も満たされたので高源寺城跡へ向かいます。

西方城から5kmほど南にあり、恐らく両城連携してこの地を守備したと思われ、西方城城主の一族が城主を務めていたようです。

4重堀切、竪堀に竪土塁まで装備した、徳島では超エリートさんです。

高源寺城跡

比高:約80m

駐車場:近くには無し。1km以上南に公民館あり。他に城跡の東、「川上神社」の東側に桑野川と農業用水?の水門があり、水門管理用の空き地の隅に1,2台のスペースはあるが自己責任で。

登城口:上記「川上神社」から南西へ200mほど行くと小さな十字路があり、北へ曲がると小さな神社にたどり着く。神社の左手奥へ進み、途中で沢を西へ越えるとたどり着く。沢を越えるまでは倒木多数だが、越えた後は杉林で管理されているため歩きやすい。

城は「Y」の字を上下逆さにしたような形で、南側を意識して作られています。南北に細長い尾根のピークに土塁で囲われた主郭。内部に櫓台を置き、その南に2郭、帯曲輪風の3郭と続きます。主郭の南端と3郭の南端から数段の腰郭群を2方向に配します。

主郭の北側尾根は鋭い4重(5重かも)堀切で断ち切り、特に2条目は堀切が竪堀となって麓まで落ち込み、竪堀には竪土塁まで付いた豪華な造り。 3条目、4条目には土橋が付属します。4条目のさらに北側にもう一条小さな凹みがありましたが、規模が小さく、5重目かどうかはよく分かりません。堀切の間もそれぞれが曲輪となっています。

・・と、明らかに阿波国にしては厳重すぎる守り。西方城と共に早くから長宗我部方に降ったため築城にも影響を受けたと思われます。

f:id:d_f_t:20200128172952j:plain
f:id:d_f_t:20200128172933j:plain
今はここからは入れない

ネット情報ではこの青い屋根の工場横の路地を看板の通り進めば城跡にたどり着く・・とありましたが、現在、途中で金網のバリケードがあり立ち入り禁止になっていました。明らかに私有地だし、勝手に乗り越えるのはマナー違反、下手したら犯罪行為になるのでダメですよ。

民家の方に声をかけたら開けてくれるのかもしれませんが、他の登城口を探します。

 

f:id:d_f_t:20200128174328j:plain
f:id:d_f_t:20200128174356j:plain
現在の登城口

ここです!この交差点を北側に進むと、鳥居が見えてきます。

f:id:d_f_t:20200128174649j:plain
f:id:d_f_t:20200128174818j:plain
ここが出発点

鳥居をくぐると小さな社。その左奥へ行けば城跡の方角のはずです。

f:id:d_f_t:20200128175112j:plain
f:id:d_f_t:20200128175127j:plain
社の左奥へ進んだところ

社を左奥に進むと石積みがありますが、恐らく段々畑跡で城とは無関係でしょう。倒木が多く、足下の状態は悪いです。

左手に沢があり、これを越えれば城域にたどり着くはず。

f:id:d_f_t:20200128175758j:plain

沢に架かる橋

しばらく行くと、ありました!橋!なんとも心許ない!!(^^;)

2本の丸太を番線で止めただけの橋です。てか、番線は既に外れかかっていました。渡るのが非常に怖かった・・(・ω・) あと数年すれば確実に朽ちるでしょう。もう少し先に進めば沢が浅くなっているので渡れないことはないと思います。

沢を渡りきると杉林となります。こちらは手入れがされているようで、ちゃんと人が歩いた跡がしっかりついているので、道なりに登っていきます。

10分ほど登り、ふと上を見上げると、そこには・・

f:id:d_f_t:20200128180945j:plain

竪堀と竪土塁

ん?これって竪堀じゃね?

f:id:d_f_t:20200128181148j:plain

竪堀と竪土塁

あー!!間違いない!!竪堀だ~♪しかも竪土塁まで付いてる~(≧∀≦)

早速、竪堀を登っていきましょう(*⌒▽⌒*)

f:id:d_f_t:20200129154905j:plain
f:id:d_f_t:20200129154920j:plain
2条目の堀切

竪堀を登りきると堀切となって主郭へ通じる尾根を分断。かなり見下ろす格好になってますね~。もし戦国時代なら、侵入者の私はこの堀切で討ち死にしている事でしょう。

まずは搦め手側を見に行きます。

f:id:d_f_t:20200129155645j:plain

3条目の堀切

f:id:d_f_t:20200129155836j:plain

4条目の堀切

3,4城目の堀切。4条目は木の陰に隠れていますが、それぞれ土橋が付属。4条目は特に鋭く保存状態が良いです。

f:id:d_f_t:20200129160216j:plain

5条目?

ちょうど木が横に倒れている所がわずかに凹み、5条目の堀切?・・かもしれませんが、堀切と言うにはあまりに幅が狭く、自然地形かもしれません。

ここで主郭側に引き返します。2条目の竪堀付きを越えると1条目の堀切です。

f:id:d_f_t:20200129160828j:plain

1条目の堀切

f:id:d_f_t:20200129161539j:plain

主郭櫓台から見た1条目堀切

堀切の深さはやはり1条目が一番深いです。400年経った現在でも乗り越えるのはかなり苦労しました。

f:id:d_f_t:20200129161714j:plain

主郭

こちらが主郭。奥に見える高まりが櫓台です。尾根筋を利用しているので、主郭と行ってもそれほど広くはありません。

f:id:d_f_t:20200129185656j:plain

主郭下の腰曲輪群

作業用モノレールに沿って不自然に平らになっているところが腰曲輪。

ネット情報にあった、以前使えていた登城路からはここに出るようです。

f:id:d_f_t:20200129190455j:plain
f:id:d_f_t:20200129190621j:plain
2郭と3郭

左:主郭から見た2郭、右:2郭から見た3郭。

主郭同様、尾根筋を削平しているので広くはない。

f:id:d_f_t:20200129190938j:plain

3郭下の腰曲輪群

3郭の下をのぞき込むと、3段ほどの腰曲輪となっていました。城域はここまでのようです。

 

この城の築城プランは、

①南方を意識して曲輪群でガッシリ防御を固める

②敵は南からは攻めるのは避け、傾斜の緩い東西の谷筋から竪堀を登ってくるので、竪堀内と堀切1,2条目にわざと誘い込んで袋だたき

③後ろに回り込んだ敵は3,4条目の堀切で動きを止めてボコる

 

と言った所でしょう。

コンパクトな設計で技巧の巧みさはないけど、敵を殺す気全開モードの城です(笑)

こういう城跡には阿波国ではほとんど出会えません。遺構の状態も非常に素晴らしく、城跡好きの方にはぜひ行ってみて欲しい城跡でした(*⌒▽⌒*)

阿波国の城跡@西方城・高源寺城①

徳島県で城跡行くなら西部か南部へ!

 

徳島県の城跡は、凝った造りのものが少ないように感じます。

城は戦乱が起きたときに立てこもる防御施設。戦乱の激しい地域であれば、敵を侵入させない工夫を必死で考えます。そりゃそうです。落城したら普通は殺されますから。戦国の世の人たちだって、命は惜しいですよ。。。

また、城を攻め落として城主が入れ替わった場合、新しい城主はその城の弱点が分かっているので防御の薄い箇所を補強します。

つまり、阿波では戦国時代も他国よりは比較的穏やかな時間が流れていたのでは?と思われますが、一時期、荒れた時代があります。

阿波の三好さん、お家騒動のゴタゴタに乗じて土佐の長宗我部さんが攻め込んできた時です。(羽柴氏の四国侵攻時にリフォームされた城の紹介はいずれまた今度)土佐から阿波へ行くなら阿波西部(現代もコチラがメインルート)か、室戸岬まわって南部から(国交省さんお願いです。南部にも早く高速道作ってください・・(o_ _)o)となります。

 

さて、前置きが長くなりました。

今回、阿南市にある2つの城跡を訪れてみました♪♪ 両城とも早くから長宗我部方に降ったため、その影響を受けたんでしょうなあ・・阿波国にはあまり見られない工夫が盛りだくさん~( ´艸`)

 

西方城跡

比高:約120m

駐車場:川を挟んで北側、日亜化学本社が登山者に開放しています。又は行事の無い日なら八幡神社(ただし自己責任で)

登城口:城の北側の道沿い(階段整備)又は西側のコンクリート工場手前を左に折れる路地があり、電力の鉄塔整備道を進むと搦手に出る(ほぼ未整備。足場悪く倒木多数)

 土佐へ続く旧街道がすぐ東にあるため、城は東を意識して作られてます。山頂に主郭を置いて帯曲輪で囲み、東側を多数の腰郭をひな壇のように配置して、主郭の後ろを2重堀切で分断しています。手元に縄張り図はありますが、ここに載せると著作権上アウトなのであしからず<m(__)m>

f:id:d_f_t:20200125150938j:plain
f:id:d_f_t:20200125160600j:plain
北側道路の路駐は不可。登城口を登る

登城路はキレイに整備されていて15分ほどで頂上までたどり着きました。

f:id:d_f_t:20200125161018j:plain

頂上展望台からの眺め

ええ、景色は凄くキレイですよ。しかし主郭には展望台が設置され、展望台から外に出られないように防護ネットが張り巡らされています。。私が見たいのは展望台の向こう側にある遺構なのですが・・・

仕方がありません。正規ルートからのアプローチは断念。一度山を下り、搦手側からリトライすることにします。城山北側の道を西へ進むとコンクリート工場があるんですが、そのすぐ手前に山側へ行く路地があるのでそこを進みます。

電力の鉄塔整備道と思われる鉄の橋を城側へ渡ればそのルートで正解。今は使われてないようですが、作業用のモノレールが敷かれています。

登ること20分ぐらい。少し藪が開けたかな?と思ったとたんに現れました。

f:id:d_f_t:20200126151601j:plain

主郭背後2条目の堀切

おぉ、あるねあるねー(*^_^*)

f:id:d_f_t:20200126152123j:plain
f:id:d_f_t:20200126152213j:plain
主郭側から見た堀切の段差

なんてことない段差だけど、こうすれば高低差が伝わるでしょうか。

そのまま進むと鉄塔があります。鉄塔曲輪(笑)建設の時にかなり改変されたようで、1条目の堀切はほとんど分けわかんなくなってます。

f:id:d_f_t:20200126152948j:plain

主郭背後の堀切1条目

1条目の堀切。右側は主郭です。恐らく電力会社が鉄塔管理で草刈と雑木切ってくれてるのはここまで。急に足場が悪くなり、ブッシュ化してきました。かがまないと進めない箇所も多数。

f:id:d_f_t:20200126153450j:plain

主郭南側虎口

主郭には南と北、2カ所に虎口があります。分かるかな~?画面中央わずかな凹みが虎口です。では、裏口から失礼。お邪魔しま~す♪

f:id:d_f_t:20200126153924j:plain
f:id:d_f_t:20200126153849j:plain
主郭下の帯曲輪

主郭の下、キレイに帯曲輪が残ってます(≧∀≦)主郭のフチにはうっすら土塁も。内部はこれでもかと言うぐらい竹でヤブヤブです。もし夏に来たら守備兵(ヤブ蚊)の総攻撃を食らうことでしょう。暑い時期に来るのはオススメできません。

f:id:d_f_t:20200126154819j:plain

主郭北側虎口

画面中央の下るスロープが北側虎口。攻め手が来るとすればこちらを想定しているため坂虎口+横矢掛と、守りが厳重です。阿波国ではこういう匠の技には滅多に出会えないため、「おぉー!」と山林の中で声を上げてしまいました。お城好きじゃない人から見たら頭がイカレたと思われるかもしれません(笑)

 

坂虎口を下っていくと、見慣れた風景が。そう、先ほど周りを防護ネットで囲われ進むのを断念した展望台に戻ってきました。なるほど、展望台1階にベンチが置かれてますが、その奥の崖をよじ登ると主郭に行けるようになっているんですな。確かにそこには防護ネットがなく、よじ登った先人の跡がありました。。。って、・・分かりづらいわっ!!せめて看板の1つでも欲しかった(ーー;)

展望台の向こう側の藪の中から脱出。誰も居なくて良かった。一般の登山客から見たら完全に不審者です。通報されたかもしれません(笑)そうされないためにも、ホント看板の設置を望みます(^^;)

f:id:d_f_t:20200126161124j:plain

主郭下を見下ろしたところ

展望台の下。雑木が生えているあたりに多数の腰郭群がひな壇状になっているはずですが、上からのアプローチは無理そうなので、いったん山を下り、八幡神社側に回ってみます。

f:id:d_f_t:20200126161522j:plain

城の東麓の八幡神社

八幡神社無人ですが立派な神社でキレイに管理されていました。お賽銭をいれて「お邪魔します」と神様に一礼してから、社右手奥にある祠の裏に登れそうなところを見つけました。

f:id:d_f_t:20200126210107j:plain
f:id:d_f_t:20200126210044j:plain
八幡神社直上の腰郭

うーん、分かりにくいですかね・・左の写真中央やや左下、右の写真はそこの近景です。山の斜面が不自然に平らになっているのがおわかり頂けるでしょうか。

これが腰郭。1人~数名の兵がここで鉄砲・弓矢・石つぶて等で下からよじ登ってくる敵を迎えうつ訳です。

この上に少し広い曲輪があるようですが、足下の状態が非常に悪く、倒木多数。あと、この地域の土の特徴でしょうか?トレッキングシューズの爪を地面に引っかけてもすぐにボロボロと崩れて非常に登りにくいです。

この辺で撤収。阿波国では珍しい遺構の詰まった城跡でした。時刻は13時前。次に向かいます。

 

おまけ

あ~お腹すいた。。お昼ご飯は近くの徳島ラーメン店へ行きました(*⌒▽⌒*)

 

f:id:d_f_t:20200126212934j:plain

中華そば(大)550円 安っ!!(゜Д゜)

座敷が2,3席とカウンターのみのこぢんまりとした地元の方に愛されるお店でした。

徳島ラーメンは白、黄、黒の3系統があり、こちらは最も歴史の古い白系。あっさりした鶏ガラとトンコツの味がしました。麺は細めのストレート麺でスープに絡みます♪

城跡歩きの後って、無性に炭水化物食べたくなりますよね~。

量は少々控えめなので、城攻めの後は「大」注文するのがオススメです♪

美味しかった~(≧∀≦)

 

阿波国の城跡@西方城・高源寺城②へ

南山城跡@岡山県倉敷市

f:id:d_f_t:20190923224720j:plain

南山城主郭付近。発掘調査集合場所

備中国の南山城跡を訪れました。

令和元年9月時点で最終の発掘調査が行われています。現在河川の改修工事中。

 

平成30年7月の豪雨で大被害を受けた地域で、調査終了後、山ごと崩され、遺構はすべて消滅します。。。人命優先が当たり前なので仕方がありませんが、せめてこのブログでも記録を残したいと思います。

 

南山城の立地ですが、高梁川小田川の合流地点を見下ろす高台にあり、水運を押さえていたのかなぁと想像。すぐ近くには山陽道も通っていたようで、交通の要衝だったようです。

f:id:d_f_t:20190923231122j:plain

主郭からの眺め。手前は小田川、右端で高梁川と合流。

さて、この城ですが築城者はよく分かっていません。中国地方の境目の城ということは確実ですが、毛利氏?地元国人の城?はっきりとはしません。

一つ言えるのは戦国時代の技術でガチガチに守られた城。

 

縄張図見ると、コンパクトな城なのにここまでやるか!という意気込み?を感じます。

www.hb.pei.jp

↑↑城郭放浪記さまのサイトです。縄張図も完備。いつもながらお世話になってます。

 

f:id:d_f_t:20190927001241j:plain

西側の尾根筋

城主郭からの西側の眺め。連続堀切で尾根筋を遮断されていますね~。この城、攻めるとすれば若干の平地がある南側か、尾根筋の西側ですが、西側はコレ。

写真の横方向の溝が堀切です。尾根筋登って攻め込んできた兵は、深い堀に降りて、また登ってモタモタしてるうちに集中攻撃食らいますね。完全にオワタのパターンです。

 

じゃ、南側はどうよ?と思うでしょうが、西側以上にエグい。

f:id:d_f_t:20190927003031j:plain

南斜面の竪堀

こんなの、竪堀の堀底を登るしかないじゃないっすか・・・(>_<)

 

f:id:d_f_t:20190927003328j:plain

南斜面を見下ろしたところ

竪堀を登りきっても、横堀で足止めされます。登り切って横堀で足止めされたところで頭上から矢玉が降り注ぐ。攻めてからしたら嫌な作りの城でしょうねぇ。

 

 

f:id:d_f_t:20190927003814j:plain

南斜面竪堀内部

南側から竪堀を登るときはこんな感じ。横移動を封じられたまま、前方の主郭の張り出した土累上から集中砲火を受けることになります。この城、ホンマに攻め手に対して意地の悪い造りになってますねぇf(^^;)

 

f:id:d_f_t:20190927004501j:plain

f:id:d_f_t:20190927004526j:plain

ん~、素敵な土累&畝状竪堀。決して大根畑ではないのです。

この畝、水はけ良さそうで、美味しい大根育ちそうですがね・・www

 

とにかく、唯一、若干平地の残る南側に対して過剰なまでの防衛システムを要する城です。ちなみに、北側は河川、東は急斜面です。

 

城跡をぐるっと一周してきて、主郭に戻ってきました。主郭と2郭を隔てる虎口の地面を見て面白い発見が。

f:id:d_f_t:20190927005837j:plain

主郭と2郭間の虎口

↓手前が主郭、↑奥が2郭ですが、礎石跡が4つ検出されたそうです。門跡です。

手前側はよくある山の石だそうですが、奥側の2つの礎石はキチンと加工された石だそうです。

こんな辺境の山城の頂上にも4本足の立派な薬医門が建っていたとはびっくり!(゜Д゜)

歴史の新発見は本当に面白く、興味深いものです。

 

余談ですが、この時偶然、城友(広島在住)の素敵なお姉様と再会。

城跡通ってると、同じ趣味の仲間と偶然遭遇、よくあるんです(笑)

つかの間の再会を喜び、下山します。

 

f:id:d_f_t:20190927011718j:plain

南山城@麓から

南山城、本当に良い城跡だった。見学させてくれてありがとう。

もう二度と行くことはできないけれど、目に焼き付けてきました。

この地で二度と大規模な水害が起きないことを願っています。

 

 

 

 

小豆島旅行@城跡と石切場にあこがれて~④

エンジェルロード!

 

f:id:d_f_t:20190919233924j:plain

朝。ホテルの部屋から。

おはよーございます。美味しい物食べて飲んで気持ちよく眠れました。

今回の宿、国民宿舎 小豆島さん。ちなみに、大学生の合宿なんかも受け入れているのかな?夕食時、ガタイの良い若者30人ぐらいの集団と一緒になりました。

いつもやってるサービスかどうかは分かりません・・が、

 

ホテル側「ご飯のおかわりは無料です」

学生さん「おぉー」「おかわり」「おかわり」「おかわり」・・以後無限ループ(笑)

私「(ボソ・・)大丈夫か?経営は」

腹ペコ体育会系男子学生達に一番言ってはいけないワードのような気がするが(笑)

 

ま、ともかくロケーションよし、メシウマ、部屋も掃除が行き届いて清潔。ホントに良い宿でした。も一度リンク貼っときます。ホントにオススメの宿です。

www.kokuminshukusha.com

 

さて、近くの道の駅を散歩して目を覚ますとしましょうか。

f:id:d_f_t:20190919235205j:plain

f:id:d_f_t:20190919235235j:plain

道の駅 小豆島オリーブ公園。朝早い時間だったので店はまだ開いていないので散歩。

体験施設や土産屋、温泉、コテージ風の宿もあるようです。潮の香りの風が心地よい♪

www.olive-pk.jp

 

さて、次はエンジェルロードへ。

小豆島ではかなり有名な観光スポットで、干潮の時刻の前後3時間だけ、小豆島本島と

大余島(私有地のため立ち入りは禁止)まで歩いて行ける砂州の道が出現します。

恋人と手をつないで渡ると結ばれる・・かも(笑)

f:id:d_f_t:20190920001217j:plain

エンジェルロード。小豆島側より

f:id:d_f_t:20190920001343j:plain

ホタテの絵馬

大余島側の浜辺の小さな社。ホタテの絵馬にたくさんの恋人達のメッセージが。

f:id:d_f_t:20190920002722j:plain

約束の丘展望台

小豆島側にある「幸せの鐘」を鳴らせばきっと結ばれることでしょう。多分。

さて、楽しかった小豆島旅行もそろそろおしまいですが、土庄港からの帰りのフェリーの時間まで少し時間が余りました。

 

港のすぐ近くにある「世界一狭い海峡」でも見に行きますかー。

土庄港から車で5分ほどの駅チカ・・イヤ、港チカの物件ですよ。

f:id:d_f_t:20190920003631j:plain

土渕海峡

一番狭いところで9.93m。一番狭い海峡としてギネス認定もされているんだとか。

駐車場は土庄町役場をお借りしました。

土庄町役場へ行けば、横断証明書(100円必要)を発行してもらえるようです。

 

再び土庄港へ。フェリー乗り場のターミナルは最近建てられたようでキレイです。小豆島のお土産は全て揃うので、荷物多くしたくない人は最後にここで買えば良いかな~。

 

f:id:d_f_t:20190920004750j:plain

フェリーに乗って小豆島を離れます。

楽しかったよ!ありがとう、小豆島!!

(完)

小豆島旅行@城跡と石切場にあこがれて~③

大坂城石垣石切場

 

f:id:d_f_t:20190916233949j:plain

醤油ソフト@マルキン醤油記念館

見出し、誤字ではないのです。。「大阪」と書くようになったのは江戸時代に入ってから。安土桃山時代、城ができた時代は「大坂城」が正しいようです。

 

途中、マルキン醤油記念館に立ち寄り、醤油造りの歴史を学びました。昔ながらの醤油造りの過程が学べます。

で、一番印象に残ったのが醤油ソフトです(笑)メッチャ醤油の味がします。中途半端じゃありません。がっつり醤油味です。安物じゃなく、お高い醤油の味です。個人的にはかなり美味しかった♪300円ナリ。

 

さて、星ヶ城を後にして今回の旅のメイン、ずっと行きたかったあこがれの大坂城石垣の石切場へ。 www.google.co.jp

↑↑場所はコチラ。道路脇が広くなっていて、石碑が建っています。車4,5台なら置けるかと。

f:id:d_f_t:20190916235836j:plain

天狗岩丁場登口

車置いて登っていきます。どんな石に出会えるかな?o(^-^)oワクワク

 

f:id:d_f_t:20190917000154j:plain

f:id:d_f_t:20190917000237j:plain

スゲェ!!

 

f:id:d_f_t:20190917000309j:plain

f:id:d_f_t:20190917000400j:plain

凄すぎる!!!(゜Д゜)

 

f:id:d_f_t:20190917000505j:plain

f:id:d_f_t:20190917000526j:plain

もうやめて~(笑)腰が砕ける~(≧Д≦)

 

すみません。<m(__)m>取り乱してしまいました。

石に残る凹みは400年前の鑿の跡です。石を割るために鑿をこんな風に並べて上からハンマーで叩き、石を割っていたんです。割れた石を船に乗せて小豆島から海路、大坂まで運んでいたんですねぇ。

 

大坂の陣豊臣氏を滅ぼした徳川幕府は、豊臣大阪城を埋め立て、新しい大阪城の築城を全国の大名に命じます。その時、石垣に使う良質な石材は小豆島を始めとする瀬戸内海の島々に求めたそうです。

 

ここで採石したのは福岡藩黒田長政。あの名軍師、黒田官兵衛の嫡男です。

黒田家は、大阪城完成後も石切場の残石を勝手に使われることを警戒し、明治時代に至るまで番人を置いて厳しく見張らせたんだとか。

↑↑※※小豆島町企画財政課様発行の探索マップから引用させて頂きました※※

400年前の石工さんたちが必死で割ろうとした石。ホントに凄い。ただの石といえばそれまでですが、歴史の生き証人と言えると思います。

 

 

さて、石と戯れていたら日が暮れてきたので宿に向かいます。

www.kokuminshukusha.com

国民宿舎と言うことで、かなりお安く泊まれました~。

妻と二人で素泊まり一部屋13,260円!!

f:id:d_f_t:20190917004226j:plain

f:id:d_f_t:20190917004321j:plain

夕暮れの景色もキレイですね~(*^▽^*)

 

f:id:d_f_t:20190917004456j:plain

定食

f:id:d_f_t:20190917004527j:plain

食事は予約してなかったので、宿で通常出してる定食を。

瀬戸内海の海の幸がふんだんでとっても美味しかったですよ!!

城攻めの後なのでビールが最高に美味しいです~(#^.^#)

 

さて、城跡攻めに付き合ってくれた妻に感謝しつつ、明日は普通の観光を(笑

 

小豆島旅行@城跡と石切場にあこがれて~④に続きます。

dft4619.hatenablog.com

小豆島旅行@城跡と石切場にあこがれて~②

小豆島 星ヶ城跡

今回の旅行の最大目的、城跡と大阪城石切場に向かいます。まずは星ヶ城跡へ。

 

星ヶ城(ほしがじょう)標高817m、中世南北朝時代の山城で、南朝方の佐々木三郎左衛門尉飽浦信胤により築かれたそうな。曲輪、土塁、空堀、石塁などが残ります。

 

縄張り図は香川県埋蔵文化財センターさんで検索するとヒットしますが、リンクの可不可が不明なので各自検索を。

概要は城郭放浪記さまのサイト(いつもお世話になっています)が詳しいです。

讃岐・星ヶ城(城郭放浪記)

 

車のナビは、寒霞渓 ロープウェイの少し東

https://www.google.co.jp/maps/@34.5183286,134.3169928,239m/data=!3m1!1e3?hl=ja

ここにセットですよ。道はずっと2車線で、駐車場もきちんと整備されてます。

 

車を置き、登城開始。15分程度、林の中を歩きます。城跡感は無し~

f:id:d_f_t:20190910020757j:plain

駐車場からの登城道

 

緩い坂道を登り切ると、T字路にぶつかります。まずは右(西側)の空堀と堀切へ。

空堀?堀切?なんじゃらホイ?と言う方のために説明すると、山城に多用される防御施設です。堀というと、姫路城や大阪城の立派な水堀を思い浮かべるかもしれませんが、水の張られていない堀です。デカい溝です。身長の倍ぐらいの溝にいったん降りて、また登らないと先に進めないトラップです。

 

堀切は山の細い尾根道をナタで切って分断したような空堀です。尾根道をまっすぐ進めなくなります。そしてどちらも堀底でノロノロしてる間に、頭上から守備兵の矢や鉄砲玉が降り注ぎます。ああ恐ろしや。

f:id:d_f_t:20190910024251j:plain

空堀・・というか塹壕

空堀~。というか、ここのは堀の前が崖。堀をほって、全面に土の壁(土塁といいます)作って守備兵が堀の中に入って、崖を強引に登ってくる敵を迎え撃つための塹壕ですな。ま、防御より攻撃のための空堀です。

ちなみに説明板、×外的 〇外敵 ね(笑)

 

そのまま進むと西の峰のピークへ。四国側の眺め。これだから山城はやめられない。

f:id:d_f_t:20190910221405j:plain

 

このままさらに西へ向かうと 堀切に到達。ほとんどこの城唯一と思える明瞭な遺構で、西側の尾根筋を断ち切っています。

f:id:d_f_t:20190910222220j:plain

西の峰の堀切

真ん中が凹んでますね~。当時はもっと堀は深く、敵の侵入を拒むためにシャープでカッコ良かったはずです。遺構も人も、年とったら体型が丸くなってくるの・・(笑)

 

西側のめぼしい遺構は見たので、東側へ移動。こちらが星ヶ城の主郭と思われます。

f:id:d_f_t:20190910223226j:plain

東峰の出隅の石塁跡

こちらも良~い眺め♪人頭大の石がゴロゴロしてます。城が現役だった頃(南北朝時代)から考えると、石垣とは考えづらく、土留めの石ではないでしょうか。単に、その辺に石があったので斜面が崩れないように・・その程度の理由で置かれた石のような気がします。

 

で、主郭に到達。デーンと鎮座するアンコールワット風の建物(といって良いのか

)これは一体何すか??

f:id:d_f_t:20190910232416j:plain
パンフレットを調べてみると、昭和35年頃、新興宗教の信者さんがこの主郭に山小屋を建てて住みながらコレを築いたんだとか。でも何のために作られたのは不明とのこと。

使えねぇパンフだ

 

でも、この城跡の見所はこの謎の遺跡のような気がする。そもそも、城跡なのに縄張りがほとんど分からなくなっているので、巧みな縄張りとかは全く期待せずにいった方が良いです。

小豆島最高峰からの景色と、謎すぎる天空の遺跡。ここはそれを楽しむ場所です。

景色見ながらバ〇スとかいう呪文を唱えて次に向かうことにします。

 

次回は、天狗岩丁場(大阪城石切場)へ向かいます。

小豆島旅行@城跡と石切場にあこがれて~③へ。

 

dft4619.hatenablog.com